伝記
ジョージ・ポーターは、1920年12月6日、イングランドのヨークシャー西部ソーン近郊のステインフォースに生まれた化学者である。のちに男爵となり、ラドナムのポーター男爵と呼ばれた。地元のソーン・グラマー・スクールで学び、奨学金を得てリーズ大学に進んで、化学を専攻した。学生時代に教わったメレディス・グウィン・エヴァンズは、これまで出会った中で最も才気にあふれた化学者だったと、のちに語っている。1941年に化学の学士号を取ると、同じ年から1945年まで第二次世界大戦で英国海軍の予備隊に勤務した。
戦後はケンブリッジ大学に移り、1949年からロナルド・ノーリッシュの下で研究を始めた。光の作用で生じるフリーラジカルを調べた研究で、同じ年に博士号を得て、のちにエマニュエル・カレッジのフェローとなった。ここで始めた仕事が、後にノーベル賞受賞につながる業績となった。活性で寿命の短い分子種の情報を得るために「閃光光分解」という技術を開発し、これによって、短寿命の分子種がラジカルであることを示す最初の証拠を得た。のちの研究では、この技術を用いて、植物の光合成における光化学反応を細かく調べた。水素をエネルギーとして使う研究への応用に、特に期待し、強く推奨した。1953年から1954年には、英国レーヨン研究協会の副所長として、染色したセルロース繊維が日光で劣化することを研究した。1954年から1965年まではシェフィールド大学の化学の教授を務め、ここで学科の工作室が作った装置を使って閃光光分解の研究を始めた。この時期には、研究を紹介するテレビ番組にも出演した。
1966年に、ロンドンの王立研究所のフラー記念化学教授で所長に就いた。所長の間には、彼の研究グループの成果に基づく機器を供給する会社の設立に力を尽くした。1967年に、マンフレート・アイゲン、ロナルド・ノーリッシュとともにノーベル化学賞を受賞し、同じ年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの客員教授にもなった。1960年に王立協会のフェローとなり、1972年にナイトに叙されて「サー・ジョージ」と呼ばれるようになった。1985年から1990年まで王立協会の会長を務め、1989年にはメリット勲章を受け、1990年に一代貴族として男爵に叙された。ケント州の地名から、ラドナムのポーター男爵の称号を得た。
科学への一般の理解を広める活動にも大きく貢献した。「まだ応用されていない科学」の大切さを唱え、1985年に英国科学振興協会の会長となり、科学の公衆理解に関する委員会の初代委員長も務めた。講演にも熱心で、1978年にはオックスフォード大学で「科学と人間の目的」と題するロマネス講演を行い、1988年にはBBC放送のディンブルビー講演で「知識そのものが力である」と語った。1976年には王立研究所のクリスマス講演で太陽光線の自然史を語った。1989年には、日本でのノーベル賞受賞者のフォーラムでも講演し、1990年から1993年にはグレシャム・カレッジで天文学を講じた。1984年から1995年までレスター大学の学長も務め、同大学は2001年に化学棟を「ジョージ・ポーター・ビル」と名づけた。1949年にステラ・ジーン・ブルックと結婚した。2002年8月31日に死去した。
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