HISTORICAL PERSON · 2002年没

スティーヴン・ジェイ・グールド

アメリカの古生物学者・進化生物学者。ハーバード大学教授で、ダーウィン主義に立つ進化論の論客。野球を題材にすることも多い科学エッセイで広く読まれた。

生涯
2002年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(クイーンズ区)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

スティーヴン・ジェイ・グールドは、1941年9月10日にニューヨーク市のクイーンズで生まれ、2002年5月20日に没したアメリカ合衆国の古生物学者、進化生物学者、科学史家である。ハーバード大学で長く教え、ダーウィン主義に立つ進化論の論客として、また博学な科学エッセイストとして活躍し、今日最も広く読まれた大衆科学作家の一人とされる。

父レナードは法廷速記官、母エレノアは美術家だった。5歳のとき、父に連れられてアメリカ自然史博物館の恐竜館へ行き、初めてティラノサウルスを見て、「畏敬の念に打たれた」と後に振り返っている。このとき古生物学者になる決意を固めたという。世俗的なユダヤ教徒の家庭で育ち、宗教教育は受けず、不可知論者と呼ばれることを好んだ。政治的には「マルクス主義の父に育てられた」ものの、自分の政治観は父とはかなり違っていたと述べている。アンティオーク・カレッジで1960年代の進歩的な学風に影響を受け、1963年に地質学の学士号を取った。この間にイギリスのリーズ大学へ留学している。のちにベトナム戦争が起きると、反戦運動に積極的に参加し、学生たちを助けた。

コロンビア大学の大学院に進み、総合説の創設者であるテオドシウス・ドブジャンスキー、エルンスト・マイヤー、ジョージ・ゲイロード・シンプソンらの教えを受けた。1967年に博士号を取ると、すぐにハーバード大学に雇われ、26歳で助教授となった。生涯そこで働き、1973年に比較動物学の教授となって、博物館の古無脊椎動物学の管理者も務めた。1982年からはアリグザンダー・アガシ記念教授職に就いた。専門の研究はカタツムリに向けられ、初期にはバミューダ産、のちに西インド諸島の種類を研究した。1972年にナイルズ・エルドリッジとともに「断続平衡説」を提唱した。ダーウィンの進化観を系統漸進説と呼んで批判し、化石記録に見られる断続と、長期間の形態の安定を強調したのである。1977年には『個体発生と系統発生』を著し、進化生物学には発生の視点が欠けていると指摘した。

1982年に悪性の腹膜中皮腫と診断された。診断後の余命の中央値が8か月と知った彼は、その数値の正しい意味を考え、自分は統計的な範囲の好ましい側にいるはずだと判断した。手術、放射線、化学療法を受けて完全に回復し、この経験を書いた文章は、多くのがん患者の励みになった。治療の間は、化学療法の吐き気を軽くするために医療用マリファナを使い、その使用を擁護した。

アメリカの科学雑誌『ナチュラル・ヒストリー』には、毎月欠かさずエッセイを書き、まとめられた本はベストセラーとなった。日本では、カンブリア紀の生物を紹介した『ワンダフル・ライフ』の著者として知られる。『人間の測りまちがい』では、欧米の優生思想や人種主義を批判した。創造論には一貫して反論し、アーカンソー州の授業時間均等法をめぐる裁判には専門家として出廷して証言した。熱狂的な野球ファンでもあり、野球をテーマにした文章をしばしば書いた。2002年5月、脳まで転移した肺がんで亡くなった。この肺がんは20年前の腹部のがんとは無関係だった。ソーホーの自宅で、妻と母、愛した多くの書物に囲まれて息を引き取ったという。

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