HISTORICAL PERSON · 1998年没

セオドア・シュルツ

アメリカのシカゴ学派の農業経済学者。経済発展理論と農業経済学への貢献が称えられ、1979年にアーサー・ルイスとともにノーベル経済学賞を受賞した。

生涯
1998年没
死亡地
アメリカ合衆国(イリノイ州 / エヴァンストン)
出生地
アメリカ合衆国(アーリントン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(イリノイ州)

伝記

セオドア・ウィリアム・シュルツは、1902年4月30日に生まれ、1998年2月26日にイリノイ州エヴァンストンで没したアメリカ合衆国の農業経済学者である。シカゴ学派に属し、経済発展理論と農業経済学における貢献で知られる。1979年にはアーサー・ルイスとともにノーベル経済学賞を受賞した。

生まれたのはサウスダコタ州で、バジャーの南東約10マイルにある小さな町の、560エーカーの農場だった。八年生のとき、父ヘンリーは息子を地元の学校から退かせた。長男が教育を受け続ければ農作業から心が離れてしまうと考えたためである。そのため、シュルツは中等後の正規の教育を受けなかった。それでもサウスダコタ州立大学の農学部に入り、毎年冬の4か月だけ開かれる3年間の課程で学んだ。大きな将来性を認められて学士課程に進み、1927年に農学と経済学の学位を得て卒業した。卒業後はウィスコンシン大学に進み、ベンジャミン・ヒバードの指導のもとで、1930年に農業経済学の博士号を取得した。

1930年から1943年までアイオワ州立大学で教えたが、バターの代わりにオレオマーガリンを使うべきだというレポートを大学の管理責任者が止めさせたことをきっかけに、同大学を去った。1946年にシカゴ大学へ移り、1961年まで同大学の経済学部長を務めた。移って間もなく、かつての教え子ゲイル・ジョンソンを学部に招き、2人の農業経済学の研究は大きな影響を及ぼして、ロックフェラー財団の資金も得た。1940年代から50年代にこの2人と関係した大学院生や教員には、クリフォード・ハーディン、ツヴィ・グリリカス、マーク・ナーラヴ、ジョージ・トーリーらがいる。1958年にアメリカ芸術科学アカデミー、1962年にアメリカ哲学協会、1974年にアメリカ科学アカデミーの会員となり、1960年にはアメリカ経済学会の会長を務めた。

研究の中心は農業経済学であったが、教育経済学や開発経済学の研究も行った。新古典派経済学の立場から、農業を国民経済、とくに市場メカニズムの枠組みのなかで論じることを提唱し、実証的な研究に基づいてアメリカ農業の生産性上昇の問題を分析した。そして真の農業の進歩には、研究開発や新技術の普及、教育といった人的資本への投資が重要だと主張し、その主張から発展途上国の発展理論を築いた。この理論は、1970年代から途上国で本格的に導入された農業近代化戦略、いわゆる「緑の革命」を理論的に支える役割を担ったとされる。第二次世界大戦後のドイツと日本が驚くべき速さで復興した理由も調べ、健康で高い教育を受けた人口が復興の速さをもたらしたと結論づけた。これは、のちに人的資本論と呼ばれる考えの出発点になった。著書『人的資本への投資』でこの考えを示し、ゲーリー・ベッカーやジェイコブ・ミンサーの助けも得て理論を整えたが、人間を資本とみなすことには他の経済学者の反発もあった。シュルツは、自分の理論は人間性を軽んじるものではなく、個人が自らに投資するよう促すものだと反論した。貧しい農業国の現場にも自ら足を運び、アメリカが送る食料や資金による援助が、かえって現地の農民を苦しめかねないと考え、援助よりも教育と技術の提供を重視すべきだと唱えた。1979年のノーベル賞は、途上国問題の考察を通じた経済発展に関する先駆的研究に対して贈られた。

日本語訳された著書に、『農業の経済組織』、『教育の経済価値』、『農業近代化の理論』、『貧困の経済学』、『「人間資本」の経済学』などがある。

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