伝記
ユーリー・ウラジーミロヴィチ・ニクーリンは、1921年12月18日にスモレンスク州のデミドフで生まれたソビエト連邦の俳優で、道化師でもある。ソ連を代表する喜劇役者のひとりとされる。両親のウラジーミルとリディアはいずれも地方の劇場の俳優だった。1925年に一家はモスクワに移り、父は寸劇の台本を書いて生計を立て、一時はイズベスチヤ紙の記者も務めた。ユーリーは学校の芝居に加わり、文化センターの芸術スタジオにも通った。
1939年に高校を卒業すると兵役に就き、対空砲の部隊に配属された。フィンランドとの冬戦争や独ソ戦にも従軍し、1943年にソ連共産党に入った。軍曹の階級で除隊し、勇敢勲章、レニングラード防衛勲章、大祖国戦争勲章を受けている。復員後は俳優学校や劇場を受けたが、芸術的な才能が足りないとして落とされたという。結局、モスクワのサーカスの道化師養成室に入り、以後50年以上をそこで過ごして、道化師から舞台監督、さらに団の責任者へと進んだ。この団はのちにニクーリン・サーカスと呼ばれるようになった。
修業の初めには名高い道化師カランダーシの助手を務め、養成室では同じく戦争帰りの元戦車兵ミハイル・シュイジンと出会って、1950年からコンビで舞台に立った。ニクーリンが素朴でのんびりした役、相棒がいたずら好きで図々しい役を受け持ち、その対照を芸の軸にした。二人はフランス、ベルギー、イギリス、東ドイツ、オーストラリア、ブラジル、カナダ、スウェーデン、ポーランド、日本、ウルグアイ、アメリカなどを巡業した。外国では、メランコリックな超然とした持ち味をバスター・キートンになぞらえ、知的な道化師と見られたという。化粧は薄く、目の縁を黒く描き、鼻をわずかに赤くする程度だった。
映画には1958年に初めて出演し、国民的な人気を得たのは、レオニード・ガイダイ監督の短編映画群で、三人組の小悪党のひとりを演じたことによる。その流れから、ソ連で大ヒットした1969年の映画『ダイアモンド・アーム』など、何世代ものソ連の人々にとって定番となった喜劇に出演した。一方でシリアスな演技も評価され、レフ・クリジャーノフ監督のドラマ映画『木々が大きかったころ』、アンドレイ・タルコフスキー監督の『アンドレイ・ルブリョフ』、アレクセイ・ゲルマン監督の『戦争のない20日間』などでも存在感を示した。ソ連と日本の合作『小さい逃亡者』(1966年)には道化師ニクーリンとして出演し、学校でのいじめを描いた『転校生レナ』では、いじめられる少女の祖父を演じた。
1973年にソ連人民芸術家、1990年に社会主義労働英雄の称号を受け、レーニン勲章も二度受けた。笑い話の収集を趣味とし、1993年にはエリダール・リャザーノフとともにテレビ番組を始め、笑い話の本も著している。1995年のキノタヴル映画祭では、全業績に対して芸術評議会賞を贈られた。1997年には元芸術家の支援を目的とする財団を設けた。同年8月21日、心臓手術後の合併症でモスクワに没し、ノヴォデヴィチ墓地に葬られた。墓には、ベンチに犬と並んで座る彼の像が立っている。天文学者リュドミーラ・ジュラヴリョーワが発見した小惑星にも、彼の名がつけられている。
同じ年に亡くなった人物
- タマラ・ティシケビッチ (1997年没)
- ジーン・ディクソン (1997年没)
- P・H・ニュービー (1997年没)
- Josef Kreci (1997年没)
- アマド・カリージョ・フエンテス (1997年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴィタリー・ギンツブルク (2009年没)
- Viktor Zubkov (2016年没)
- Grigoriy Rechkalov (1990年没)
- アナトーリー・アレクサーンドロフ (1994年没)
- アルノ・ババジャニアン (1983年没)