HISTORICAL PERSON · 1997年没

ジョン・C・エックルス

オーストラリアの神経生理学者。抑制性シナプス後電位の発見により、1963年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。研究室には伊藤正男も留学した。

生涯
1997年没
死亡地
スイス連邦(ティチーノ州 / Tenero-Contra)
出生地
オーストラリア連邦(メルボルン)
出典
世界地図
スイス連邦(ティチーノ州)

伝記

ジョン・カリュー・エックルスは、1903年1月27日にオーストラリアのメルボルンで生まれた神経生理学者である。ともに教師だった両親ウィリアムとメアリー・カリュー・エックルスのもとで、2人の姉妹と育ち、12歳になるまで家庭で教育を受けた。最初はウォーナンブールの高校に通い、最終学年はメルボルン高校で過ごした。17歳で上級奨学金を得てメルボルン大学医学部に進んだが、学生のころに心と体の相互作用について納得のいく説明を見つけられず、神経科学者になることを考え始めたという。

1925年に最優等で卒業すると、ローズ奨学金を得てオックスフォード大学のモードリン・カレッジに入り、チャールズ・シェリントンのもとで研究して、1929年に博士号を取った。1937年にオーストラリアへ戻り、第二次世界大戦中は軍事研究に携わった。シドニー大学医学部の兼松研究所の所長を務め、バーナード・カッツとともに講義を行って、大学の知的な雰囲気に強い影響を与えた。戦後はニュージーランドのオタゴ大学の教授となり、1952年からオーストラリア国立大学のジョン・カーティン医学研究所の教授を務めた。1966年にはアメリカのシカゴの生物医学研究所に移ったが、研究環境に不満を抱いて去り、1968年から1975年に退職するまでバッファローのニューヨーク州立大学で教えた。退職後はスイスに移り、心身問題について書いた。

1950年代の初めに、のちにノーベル賞につながる研究を同僚とともに行った。脊髄の伸張反射を材料にして、感覚ニューロンの電気刺激が運動ニューロンに興奮性のシナプス後電位を生むのに対し、拮抗する筋肉からの刺激では抑制性のシナプス後電位が生じることを示した。興奮性の電位が複数重なれば運動ニューロンは発火し、抑制性の電位はその合計を打ち消す。1949年ごろまでは、シナプスの伝達は化学的でなく主に電気的だと考えていたが、この見解は誤りだった。しかしその主張がきっかけで行われた実験が、化学伝達を証明することにつながった。この業績で1960年にコテニウス・メダル、1962年にロイヤル・メダル、1963年にアンドリュー・ハクスリー、アラン・ホジキンとともにノーベル生理学・医学賞を受けた。1941年に王立協会フェローに選ばれ、1958年にナイトに叙され、1963年にはオーストラリアの年間最優秀人物にも選ばれた。研究室には伊藤正男が留学している。

1977年にはカール・ポパーとの共著『自我と脳』が世界的な話題を呼んだ。ここで彼は精神が脳を制御するという二元論を唱え、物質世界とは別に精神世界があり、脳にはそれに関わる接続部があるはずだと主張したが、批判も多かった。1973年の『脳の理解』では、ポパーの三つの世界の概念を全面的に受け入れたと述べ、かつては二元論者だったが今は三元論者だと語っている。1964年にアメリカ哲学協会の名誉会員となり、1981年には世界文化評議会の創設メンバーに加わった。1990年にオーストラリア勲章を受け、1997年5月2日にスイスのロカルノ近郊のテネロ=コントラで94歳で亡くなった。2012年にはジョン・カーティン医学研究所の新棟にエックルス神経科学研究所が設けられ、2021年にはオタゴ大学にエックルス棟が開かれた。

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