伝記
ヴァルター・ヘスは一八八一年、スイスのトゥールガウ州のフラウエンフェルトに、三人きょうだいの二番目として生まれた。父は科学の道へ進むよう勧め、自宅の物理実験室で息子と実験した。一八九九年からローザンヌで医学を学び始め、ベルリン、キール、チューリヒでも学んで、一九〇六年にチューリヒ大学で学位を取得した。外科医としてコンラート・ブルンナーのもとで研修し、次いで眼科医オットー・ハーブに学んだ。ラッパースヴィルで眼科を開業し、視野を調べる器具「ヘス・スクリーン」を考案した。そのころルイーズ・ザンドマイヤーと結婚し、一男一女をもうけた。血液粘度を測る装置も作り、博士論文では血液の粘性と心臓の働きを論じた。一九一二年には収入の多かった眼科の開業をやめて研究の道に進み、一九一三年に私講師の資格を得た。主な関心は血液循環と呼吸の調節にあった。
ヘスはチューリヒ大学の生理学研究室でユスティヌス・ガウレのもとで研究を進め、一九一七年から一九五一年の退職まで正教授で研究所長を務めた。第一次世界大戦中にはボン大学の生理学研究所でも一年間研究した。一九三〇年代には、脳の深部にある間脳、とくに視床下部が内臓の働きを調整する仕組みを調べるため、猫の脳の限られた部位に電極を当て、弱い刺激を与えて反応を記録した。刺激する部位ごとに身体の反応を調べることで、脳の領域を特定の生理的反応と結びつけ、その対応関係を地図のように示していった。刺激法には一九二〇年代後半に発達した脳刺激の技術を用い、直径〇・二五ミリの非常に細い電極で、定められた解剖学的部位に刺激を与えた。彼が「断続直流刺激」と呼んだ独自の方法では、一二・五ミリ秒か二五ミリ秒という長い刺激を、ゆるやかに立ち上げて下げる形で与えた。刺激は〇・五から一・五ボルトほどの弱いもので、周波数も二から一二ヘルツ、ふつうは八ヘルツと低かった。視床下部を刺激すると、興奮から無気力までさまざまな行動を引き起こせた。前方(外側)を刺激すると血圧が下がり、呼吸が遅くなるほか、空腹や渇き、排尿、排便などが起きた。後方の腹内側部を刺激すると強い興奮や防御行動が現れ、部位ごとに異なる反応があることを示した。
ヘスは猫の実験で、刺激によって眠りを誘発できることも見いだした。当時、脳を刺激して動物の睡眠を引き起こすという結果は議論を呼んだが、後に他の研究者や息子のルドルフ・マックス・ヘスによって確認された。一九四九年、内臓の調節に関わる間脳の機能領域の研究により、エガス・モニスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。
一九五一年に大学教授を退いた後も、研究室に席を持ち、大学での仕事を続けた。動物実験を禁じようとする反対運動には、政治的な立場から反対した。一九三〇年には、高山の気象を研究するユングフラウヨッホ高山研究所の国際財団の設立に加わり、一九三七年まで所長を務めた。一九三二年にはマルセル・ブノワ賞を受け、ベルン大学、ジュネーブ大学、マギル大学、フライブルク大学から名誉博士号も授与された。一九六七年にアスコーナへ移り、一九七三年、九十二歳でロカルノにて心不全のため死去した。妻は一九八七年に亡くなった。
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