伝記
リモージュのマルティアリス(聖マルシャル)は、三世紀の人物で、リモージュの初代司教とされ、「ガリアの使徒」「アキテーヌの使徒」とも呼ばれる。キリスト教の聖人として崇敬される。祝日は六月三十日である。出自ははっきりせず、「東方」から来たと言われる。ウェナンティウス・フォルトゥナトゥスのものとされる中世の賛歌は、ユダヤ系の高貴な生まれだったことをうかがわせる。
トゥールのグレゴリウスによれば、皇帝デキウスの時代に教皇ファビアヌスが七人の司教をローマからガリアに送り、福音を伝えさせた。トゥールにガティアヌス、アルルにトロフィムス、ナルボンヌにパウルス、トゥールーズにサトゥルニヌス、パリにディオニュシウス、クレルモンにアウストロモニウス、そしてリモージュにマルティアリスである。『黄金伝説』によると、マルティアリスが宣教師として初めてリモージュに入ったとき、神殿を訪れたところ、祭司たちに打たれて投獄された。翌朝の祈りの間に大きな光が彼を包み、鉄格子と鎖がはじけて彼は解き放たれ、牢の番人たちは洗礼を願った。彼は住民をキリスト教に改宗させることに成功し、その記憶は今もリモージュで崇敬されているという。
マルティアリスはリモージュで没し、ローマ時代の町の外に葬られた。墓は巡礼地としてしだいに重要になり、九世紀には修道士たちがベネディクト会の庇護を得た。この地はベネディクト会のサン=マルシャル修道院となり、クリュニーに次ぐ大図書館と写字室を備えた。サン=マルシャル修道院は西方キリスト教世界で屈指の巡礼教会だったが、十九世紀に徹底的に取り壊され、図書館の散逸した写本だけが残った。元の地下祭室は一九六六年から一九七〇年に発掘され、十二点のロマネスク様式の彫刻柱頭が納屋の基礎に組み込まれた状態で見つかり、一九九四年にリモージュ司教座博物館が買い取った。
奇跡の記録『マルティアリスの奇跡』は、七〜九世紀の奇跡を記したもので、八五四年の少し後に書かれた。修道院に埋葬された歴史上のマルティアリスをめざす巡礼者の流入が、十世紀に入念な聖人伝の形成を促した。伝承が膨らむとともにマルティアリスの時代は遡らされ、ペトロ自身によってガリアへ遣わされ、リモージュ地方だけでなくアキテーヌ全土に福音を伝えたとされるようになった。ペトロから授かった杖で触れて死者を蘇らせるなどの奇跡を行ったという。この神話は十一世紀のアデマール・ド・シャバンヌの偽作で頂点に達した。後継者の司教アウレリアヌスの作とされる『聖マルティアリス伝』は、ペトロから洗礼を受け、七十二人の弟子の一人で、最後の晩餐にも居合わせたと「証明」しようとしたものである。十三世紀の『黄金伝説』には、悪魔を追い出し、死者を蘇らせ、大勢に洗礼を授ける伝説上のマルティアリスが現れる。十四世紀に崇敬が復活すると、一三七八年から一三八八年に七十三の奇跡が記録された。一八五四年にもリモージュ司教が教皇ピウス九世に、キリストの弟子としての栄誉を授けるよう請願したが、却下された。アデマールの偽造文書の全容が明らかになったのは一九二〇年代である。
九九四年にリモージュで麦角中毒が広がったとき、人々は彼の助けを求めた。リムーザン地方全域で人気があり、イタリアでもコッレ・ディ・ヴァル・デルサ大聖堂が彼に捧げられている。麦角中毒をはじめ疫病一般に対して祈られ、囚人の守護聖人でもある。リモージュ、アヴィニョン、カオールの守護聖人でもある。ブラジルの民間伝承では、マラニョン州の六月祭を締めくくる祝日に焚き火で祝われる。
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