伝記
サー・ネヴィル・フランシス・モットは、1905年9月30日にイングランドのリーズで生まれ、1996年8月8日に没したイギリスの理論物理学者である。1977年、磁性体と無秩序系の電子構造の理論的研究により、フィリップ・アンダーソン、ジョン・ヴァン・ヴレックとともにノーベル物理学賞を受賞した。三人の研究は互いに緩やかな関連をもつにとどまっていたが、モットとアンダーソンは、磁性体や非晶質の物質が、ときに金属となりときに絶縁体となる理由を明らかにした。
父チャールズ・フランシス・モットと母リリアン・メアリー・レイノルズは、ともにJ・J・トムソンのもとで物理学の研究をしていたときにキャヴェンディッシュ研究所で出会った。母はケンブリッジ大学の数学トライポスを修め、その年の女性では最も優れた数学者だったという。一家は、父が上級理科教師を務めていたヨークシャーのギグルズウィック校のある村に暮らし、その後は父の仕事に伴ってスタッフォードシャー、チェスター、リヴァプールへと移った。リヴァプールでは父が教育長に任じられている。モットは初め母から家庭で教育を受け、10歳でブリストルのクリフトン・カレッジに入って正規の教育を始めた。続いてケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学トライポスを学び、ラルフ・ファウラーの指導を受けた。
1929年にマンチェスター大学の物理学教室の講師となり、1930年にケンブリッジのゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジのフェローで講師として戻った。1933年にはブリストル大学に移って理論物理学の教授となり、1948年にはヘンリー・オーヴァートン・ウィルズ物理学教授とウィルズ物理学研究所の所長を兼ねた。1954年から1971年まではキャヴェンディッシュ研究所の第6代所長で、ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ教授を務めた。1959年から1966年にはゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの学寮長でもあった。1936年に王立協会フェローに選ばれ、1953年には国際理論物理学会・京都の議長として来日した。
初期の仕事は気体中の衝突の理論的解析で、とくに電子が水素原子にスピンを反転させて衝突する過程を扱った。この研究は、のちにアンドレ・ブランダンや近藤淳らが伝導電子の同様の効果や金属の磁気的性質を論じる刺激になったとされる。1930年代半ばには関心が固体へも広がり、H・ジョーンズとの共著で1936年に金属と合金の性質の理論を著し、研究の急速な進展につながる簡明な枠組みを示した。ロナルド・ガーニーとの共著『固体の物理化学』は、金属の低温での酸化など幅広い題材を扱った。写真乳剤の感光過程の理論的解明はガーニー・モット理論と呼ばれる。さらに、電子同士の強い相互作用によって導電体から絶縁体へ転移する現象の理論的研究はモット絶縁体として知られる。
門下にはクラウス・フックス、黄昆、ジョン・エシェルビー、ジャック・フリーデル、フォルカー・ハイネらがいる。著書には『初歩の量子力学』、H・マッセイとの共著の『衝突の理論』、H・ジョーンズとの共著の『金属物性論』、『金属と非金属の物理』、自伝の『科学に生きる』がある。受賞歴は1941年のヒューズ・メダル、1953年のロイヤル・メダルとベーカリアン・メダル、1972年のコプリ・メダル、1973年のファラデー・メダルなどである。
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