伝記
ジェイムズ・クラーク・ロスは、1800年4月15日にロンドンで生まれ、1862年4月3日に没したイギリスの海軍軍人・探検家である。実業家ジョージ・ロスと妻クリスチャン・クラークの三番目の子で、父はスコットランド南西部ウィグタウンシャーの名家の出であり、海軍の探検家ジョン・ロスの兄にあたる。おじのジョンから強い影響を受け、12歳になる直前の1812年に海軍へ入った。最初は「一等志願兵」として艦に乗り組んだが、おじの後押しで早くから士官候補生に昇進し、のちにバルト海や白海、イギリス海峡などを航海した。
1818年、おじのジョン・ロスが北西航路の探索に出た最初の航海に同行し、科学的な調査に積極的に参加した。この航海は航路を見つけられず、ジョンは帰国後に失敗を厳しく批判された。続く1819年から1827年のあいだ、ロスはウィリアム・エドワード・パリーのもとで4度の北極探検に加わった。最初の航海では、パリーが彼の功績をたたえてメルヴィル島の岬にその名を付けている。船は冬のたびに氷に閉じ込められ、乗組員は越冬を強いられたが、ロスはこうして初めて北極の冬を過ごし、その後は慣れていった。1821年からの第二次の航海ではブーシア湾に達し、地図の作成に加えて、鳥や海獣、植物を調べる博物学者としても働いた。このとき標本を初めて研究したバラ色のカモメは、英語名にロスの名が付いて「ロスカモメ」と呼ばれる。帰国後に中尉へ昇進し、博物学上の仕事によってロンドンのリンネ協会の会員にもなった。第三次の航海は困難を極め、一隻が座礁して放棄されている。第四次の航海は、北西航路ではなく、スヴァールバルから小舟をそりで運んで北極点を目ざすものだった。1828年には王立協会のフェローに選ばれた。
1829年から1833年には再びおじのジョン・ロスの探検隊に加わり、1831年6月1日に北磁極への到達に成功した。北極圏から帰国したのち、1835年から1838年にかけては、ブリテン諸島で初めての体系的な磁気探査に従事した。1839年から1843年には、エレバス号とテラー号の2隻からなる南極探検隊を率い、南磁極への到達を目ざした。到達はかなわなかったものの、1841年にロス海、ビクトリアランド、ロス島の火山エレバス山、テラー山、メルボルン山、ポーレット島などを発見して多くの成果を得た。1842年に王立地理学会の金メダルを受け、1843年にはナイトに叙任された。1845年、このエレバスとテラーを用いたジョン・フランクリンの北極探検隊が消息を絶つと、1848年からエンタープライズ号とインヴェスティゲーター号の2隻を指揮して捜索に当たったが、発見はできなかった。1856年に少将へ昇進し、1862年にアリスバーリーで没した。
著書に、1839年から1843年の航海を記した『南方および南極地域における発見と調査の航海』がある。ロス海やロス島のほか、ロス棚氷、ジェイムズロス海峡、ロス山にその名が付けられ、月の静かの海のクレーターにも名が残る。1990年には英国の極地調査船が「ジェームズ・クラーク・ロス」と命名された。
同じ年に亡くなった人物
- Carlos Anaya (1862年没)
- ジョン・ウェストウッド (1862年没)
- サイモン・フレーザー (1862年没)
- チャールズ・カニング (初代カニング伯爵) (1862年没)
- アルブレヒト・アダム (1862年没)
同じ地域に関係する人物
- Princess Sophia Kaur of Lahore (1948年没)
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公爵) (1809年没)
- ロバート・ロビンソン (1975年没)
- スーザン・ストレンジ (1998年没)
- ジョン・ザイマン (2005年没)