HISTORICAL PERSON · 1995年没

ルイ・マル

フランスの映画監督。23歳で『沈黙の世界』によりカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、『死刑台のエレベーター』で長編デビューした。

生涯
1995年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
フランス共和国(トゥムリー)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ルイ・マルは、1932年10月30日にフランス北部ノール県のトゥムリーで生まれた映画監督である。砂糖業で知られる大実業家の一族の出身で、父ピエール・マルは元海軍士官、母は実業家フェルディナン・ベガンの妹であった。父と伯父はトゥムリーにあるベガン・セ社の工場の責任者を務めた。裕福な大ブルジョワの環境で育ち、第二次世界大戦中の占領下では複数のカトリック系の寄宿学校を転々とし、その経験はのちに『さよなら子供たち』で描かれた。若いうちから父のカメラで映画づくりに親しみ、パリの政治学院で学んだのち、1953年にフランス国立高等映画学院へ進んだ。

ジャック=イヴ・クストーが海中の記録映画を撮るため若い助手を探していたとき、学院から紹介された学生の中からマルが選ばれた。数か月に及ぶ調査船での仕事は、海洋ドキュメンタリー映画『沈黙の世界』として結実し、1956年にカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞した。マルは23歳で、史上最年少の受賞者であった。撮影中には潜水で鼓膜を痛め、こうした仕事はできなくなったという。1958年には自己資金で製作した『死刑台のエレベーター』で、実質的な長編映画監督デビューを果たした。ジャンヌ・モローの内省的な演技、手持ちカメラを主体とした撮影、マイルス・デイヴィスの即興演奏によるジャズなどが評価され、ルイ・デリュック賞を受賞した。ヌーヴェル・ヴァーグの初期の作品として有名になったが、マルは『カイエ・デュ・シネマ』誌とは関わりを持たず、運動には参加していない独立の作家であるという見方もある。

以後は、モローを再び起用した不倫劇『恋人たち』、レーモン・クノーの小説を映画化したコメディ『地下鉄のザジ』、自殺を決意した青年の最期の2日間を描いた『鬼火』など、多様な作品を撮った。『恋人たち』と『鬼火』は、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。1968年に第21回カンヌ国際映画祭の審査員に選ばれたが、五月革命のさなかに映画祭を開くことに異議を唱え、ゴダールやトリュフォーらとともに映画祭を中止に追い込んだ。マルはトリュフォーとともに最も過激な論陣を張ったという。1970年代は思春期の青年を描いた『好奇心』や、英国アカデミー賞作品賞を受けた『ルシアンの青春』を製作し、1976年にはアメリカへ移住した。『プリティ・ベビー』を撮り、『アトランティック・シティ』はヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞し、本人もアカデミー監督賞にノミネートされた。

1987年にフランスへ戻り、占領下の寄宿学校での自身の体験を基にした『さよなら子供たち』を製作した。戦闘場面を一切描かず、子供の目線で戦争と反ユダヤ主義を描いたこの作品で、二度目の金獅子賞やセザール賞の作品賞・監督賞などを得た。晩年にも『五月のミル』『ダメージ』『42丁目のワーニャ』などを製作している。私生活では、1965年にアンヌ=マリー・デショと結婚して2年後に離婚し、1980年にアメリカの女優キャンディス・バーゲンと結婚して生涯を共にした。1995年11月23日、癌により63歳でロサンゼルスで死去した。

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