伝記
ジョルジュ・ジャン・フランツ・ケーラーは、1946年4月17日にドイツのミュンヘンで生まれた生物学者であり、免疫学者である。父カール・ケーラーはドイツ人、母レーモンドはフランス人の家系の出身である。フライブルク大学で生物学を学び、フリッツ・メルヒャースの下で研究した。博士論文の研究は免疫応答と抗体の産生に関するもので、この関心がのちの抗体の多様性の研究につながった。1968年に結婚し、カタリーナ、ルチア、ファビアンの3人の子をもうけた。学生のころには家族を養うためにタクシー運転手として働いたと伝えられる。
1974年4月から1976年3月まで、ヨーロッパ分子生物学機構の支援を受けて、ケンブリッジの医学研究評議会分子生物学研究所にあるセーサル・ミルスタインの研究室で博士研究員として研究した。ミルスタインの研究室では抗体の多様性が生じる仕組みを調べていた。二人が目指したのは、単一の特異性を持つ抗体を出し続ける細胞の継続的な培養だった。その解決法は、免疫した動物の抗体産生リンパ球と、不死化した骨髄腫細胞を融合させ、抗体の産生と培養下で増え続ける能力を併せ持つ雑種細胞をつくることだった。この細胞は、のちにハイブリドーマと呼ばれる。1975年に二人は「所定の特異性を持つ抗体を分泌する融合細胞の継続培養」という論文を、科学誌『ネイチャー』に発表した。この方法は、多くの細胞群がつくる抗体の混合物である従来の抗血清とは違い、均一な特異性をもつモノクローナル抗体を、再現性をもって作り出す手段を与えた。
1976年4月、スイスに戻ってバーゼル免疫学研究所の一員となり、およそ10年にわたって、抗体の多様性やリンパ球雑種細胞の挙動を調べた。研究所はニールス・イェルネが所長を務める、理論と実験の両面で免疫学の主要な拠点だった。1980年代初めには、免疫の自己寛容などを調べるために、遺伝子導入マウスの利用にも関心を持った。1984年、免疫制御機構に関する理論の確立とモノクローナル抗体の作成法の開発により、イェルネ、ミルスタインとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。同年にはアルバート・ラスカー基礎医学研究賞も受け、ノーベル賞の講演ではモノクローナル抗体の由来と多様化、そしてこの技術がもつ科学的な意味を論じた。同じ年にフライブルク大学の教授にも就任したとされる。それ以前にも、1981年にガードナー国際賞、1982年にカール・ラントシュタイナー記念賞を受けた。
1986年にはドイツのフライブルクにあるマックス・プランク免疫生物学研究所の所長となり、死去するまでその職にあった。1995年3月1日、フライブルクで48歳で亡くなった。死因は肺炎とも心臓の病気ともいわれる。ケーラーとミルスタインの共同研究は、特異性が定まった抗体を作り出すことを可能にして実験免疫学を大きく変え、モノクローナル抗体は生物医学の研究や臨床診断に欠かせない試薬となり、のちには治療薬の主要な一群にもなった。マックス・プランク協会は、ケーラーをモノクローナル抗体の研究で科学と医学に長く続く影響を与えた先駆的な免疫学者と評している。
同じ年に亡くなった人物
- エマニュエル・レヴィナス (1995年没)
- アート・テイラー (1995年没)
- イージー・イー (1995年没)
- メアリー・ウィックス (1995年没)
- ジェレミー・ブレット (1995年没)
同じ地域に関係する人物
- ゲオルク・ウィッティヒ (1987年没)
- オイゲン・バウマン (1896年没)
- ハンス・ゲオルク・ガダマー (2002年没)
- ルートヴィヒ・ウーラント (1862年没)
- ウード・フォン・ヴォイルシュ (1984年没)