伝記
ジャック・カービーは、1917年8月28日、ニューヨークのマンハッタン、ロウアー・イースト・サイドで生まれたアメリカン・コミックの作画家、原作者、編集者である。出生名はジェイコブ・カーツバーグといい、両親はユダヤ系オーストリア人の移民で、父ベンジャミンは衣料品工場で働いていた。若き日のカービーはそうした環境を抜け出したいと願っていた。絵は自己流で学び、少年時代にはストリートキッドを教化するための「ミニチュア市」というクラブに所属して、その新聞に漫画を描いた。14歳でブルックリンのプラット・インスティテュートに入学したが、1週間で退学したという。本人は「どんな課題でもずっとやり続けるのはまっぴらだった」と語るが、経済的な理由も大きかったとされる。
1936年にコミックストリップの配信会社に入社し、1939年末にはアニメ制作会社のフライシャー・スタジオで『ポパイ』の動画を描いた。しかし、そこを父の働いていた工場のようだと感じて耐えられず、すぐに抜け出した。そのころ出版社の依頼でコミックブックを制作する請負スタジオが何社かあり、原作と作画の仕事を始める。ジャック・カーティスなどさまざまな筆名を使い、1939年に西部劇作品で用いた「ランス・カービー」が、「カービー」の名が現れた最初であった。のちに公式に改名した際、ユダヤ系の血筋を隠すためだとほのめかされると気分を害したという。
ジョー・サイモンと知り合って共作を始めたのは1940年ごろで、二人は馬が合い、出版社との交渉はサイモンが、ストーリーと作画は二人で分担した。後にマーベル・コミックスとなる会社で1940年後半に愛国ヒーローのキャプテン・アメリカを生み、1941年初めに刊行された第1号は数日で完売し、第2号の発行部数は100万部を超えた。この作品は実在のヒトラーを悪役に描いたため、国内のナチスシンパから脅迫を受けることもあった。サイモンは約束どおりの配当が支払われていないと感じ、カービーとともに、のちにDCコミックスとなる会社へ移籍して、『ボーイ・コマンドーズ』などの人気作を送り出した。
カービーは1943年6月に陸軍に徴兵され、1944年8月にノルマンディーのオマハビーチに上陸した。本人の証言では、斥候の役に就けられ、市街地で先行偵察をして地図や図面を描く危険な任務を与えられたという。戦後はサイモンとともに、恋愛を題材にした告白体小説の雑誌から着想を得て、ロマンス・コミックスという新しいジャンルを開いた。1947年10月号と表示された『ヤング・ロマンス』第1号は、数年間で最大のヒットになったという。
1950年代末からはマーベル・コミックで作画家として働き、原作者で編集者のスタン・リーのもと、ファンタスティック・フォー、X-メン、ハルクなど歴史に残るキャラクターの多くを生み出した。しかし作者クレジットなどの扱いに不満を覚え、1970年にライバルのDC社へ移り、原作と作画を兼ねて「フォースワールド」シリーズなどを残した。その後はテレビアニメやインディペンデント・コミックの分野に活動の場を移し、1987年にはアイズナー賞名誉の殿堂に名を連ねた最初の3人の一人となった。1994年2月6日、76歳で心不全により亡くなった。コミックファンからは「ザ・キング」と呼ばれ、後年にはコミック外のメディアからも業績を高く評価された。
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