HISTORICAL PERSON · 1994年没

エリク・H・エリクソン

アメリカの発達心理学者・精神分析家。「アイデンティティ」の概念と心理社会的発達理論を提唱し、米国で最も影響力のあった精神分析家の一人とされる。

生涯
1994年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / Harwich)
出生地
ドイツ連邦共和国(フランクフルト・アム・マイン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

エリク・ホーンブルガー・エリクソンは、1902年6月15日にドイツ帝国のフランクフルトで生まれ、1994年5月12日に没したアメリカ合衆国の発達心理学者で、精神分析家である。「アイデンティティ」の概念と心理社会的発達理論を提唱し、米国で最も影響力のあった精神分析家の一人とされる。母のカーラ・アブラハムセンはユダヤ系デンマーク人で、生後3年間は母とフランクフルトで過ごした。父は定かではなく、デンマーク人の芸術家ではないかと言われたが、母は最期まで息子にその名を明かさなかった。1905年に主治医でもあった小児科医のテオドール・ホーンブルガーと母が結婚し、家族はカールスルーエに引っ越した。ミドルネームのホーンブルガーは、母の再婚相手の姓である。

北欧系の風貌のためにユダヤ人社会やユダヤ教の教会で差別を受け、一方でドイツ人のコミュニティからはユダヤ人であることを理由に差別されるという、二重の差別を受けて育った。実父の出自や所在が分からないことも加わり、こうした出自や生育歴が、のちの理論や思想の形成に大きな影響を及ぼしたとされる。カールスルーエのギムナジウムを卒業したのち芸術学院に進んだが卒業せず、各地を転々とする放浪生活を送った。本人は画家を目指していたと語り、自身の特徴的な文章もそのことと関係があると述べている。

友人の紹介で、アンナ・フロイトがウィーンで外国人の子弟のために始めた私立の実験学校の教師となり、やがてアンナの弟子として教育分析を受けた。面識のない実父に関する分析内容には違和感を残しつつも分析を終え、ウィーン精神分析研究所の分析家の資格を取得した。この資格は同時に国際資格になる制度であったという。ウィーンでは、のちに結婚するカナダ人の舞踏家ジョアン・セルソンと知り合った。1933年にドイツでナチスが政権を握ると、ウィーンからコペンハーゲンを経てアメリカへ渡り、1939年にアメリカの国籍を取得した。当初は問題行動を起こす青年たちの心理療法に従事し、他の治療機関の手に負えない難しい事例でも高い治癒率を上げて注目を集めた。

「アイデンティティ」の概念を思いつく契機は、マサチューセッツのオースティン・リッグス・センターで、同一性に苦しむ境界例のクライアントに会ったことだとされる。エリクソンはこの概念を極めて多義的で動的なものと捉えていた。のちに心理学のみならず社会科学のあらゆる分野でこの語が多用される事態となり、本人は困惑を隠し切れなかったと語っている。大学の学位を持たないまま発達心理学者として知られるようになり、イェール大学、カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学で教えた。研究は幼児の心理から出発し、自身の年齢が上がるにつれて、青年期、成人期、老年期へと関心を移していった。自我発達を8つの段階に区分し、学童期の勤勉性対劣等感、青年期のアイデンティティ対役割の混乱などを論じた。青年期の混乱に社会が与える猶予を「モラトリアム」と呼び、次世代の価値を生み出す行為に関わることを「ジェネラティヴィティ」と名づけた。主著に『幼児期と社会』『青年ルター』『ライフサイクル、その完結』などがあり、『ガンディーの真理』は全米図書賞を受賞した。

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