伝記
フランク・ヴィンセント・ザッパは、1940年12月21日にメリーランド州ボルチモアで生まれたアメリカ合衆国のロック・ミュージシャンで、シンガーソングライター、ギタリスト、作曲家、編曲家、バンドマスターである。イタリア系アメリカ人のフランシスと、ローズ・マリーの第一子として生まれた。父は科学者で数学者でもあり、ザッパが生まれたときには、陸軍の兵器工場に気象学者として勤め、一家は陸軍官舎に住んでいた。1951年12月に、ザッパの喘息の療養のため、一家はカリフォルニア州のモンタレーに転居した。父の仕事の都合で、各地を転々とし、15歳までに合計6つの学校に通った。1956年には、父が連邦政府の化学戦研究施設に勤めることになり、ランカスターに転居した。
12歳でドラムスを始め、17歳でギターに転向した。ドゥーワップの熱心なファンで、15歳から17歳まではリズム・アンド・ブルースばかり演奏していた。高校の同級生のドン・グレン・ヴリートとは、ドゥーワップ・グループなどのレコードの鑑賞を通じて親交を深め、のちに「キャプテン・ビーフハート」として知られる友人となった。一方で、14歳のころにエドガー・ヴァレーズの作品集を買って夢中になり、ストラヴィンスキーやウェーベルンも熱心に聴いた。最上級学年のときには、許可を受けて、短期大学で和声の講義を聴いた。1958年に高校を卒業したが、二つの短大にそれぞれ一学期在籍しただけで退学し、会社勤めをしながら、クラブに出演した。1959年にロサンゼルスに移り、高校の英語教師の脚本による西部劇映画の音楽を担当して、19歳で作曲家としての経歴を始めた。1961年にレコーディング技師ポール・バフと出会い、その録音スタジオで基本を学んだ。バフが忙しくなるにつれて、スタジオはザッパが引き継いだ形になり、最初の結婚が破綻した後は、スタジオに住み込んで、録音に没頭した。1964年に、映画音楽の報酬でスタジオを買い取った。
1964年に、ソウル・ジャイアンツというバンドにギタリストとして加わり、ザッパの提案でオリジナル曲を演奏し始めた。1965年にレコード会社と契約し、バンドの名前をザ・マザーズ・オブ・インヴェンションに改めて、翌1966年に、デビュー・アルバム『フリーク・アウト!』を発表した。ザッパ作の全14曲から成る本作は、当時としては異例の2枚組で、ロック史上初のコンセプト・アルバムの一つであった。ブルースやリズム・アンド・ブルース、ジャズ、ドゥーワップなどに現代音楽の要素を加えた、今でいうクロスオーバーの先駆的な音楽で、オーケストラとの共演や、テープ編集による録音の工夫にも特色があった。アメリカでは売れなかったが、イギリスでは『ホット・ラッツ』(1969年)がヒットし、音楽誌の1969年の年間最優秀アルバムに選ばれた。1968年には、自らのレーベルを設立し、キャプテン・ビーフハートやアリス・クーパーらの作品を送り出した。1969年10月に、バンドの解散を発表した。
1970年代後半からは、ソロ活動に専念し、ツアーをこなしながら、多数のアルバムを発表し続けた。作詞家としては、アメリカ政府や共和党、キリスト教右派、検閲、音楽産業などを鋭く批判した。スティーヴ・ヴァイやテリー・ボジオら、後に著名となる音楽家を数多く輩出した。1988年に、グラミー賞のインストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞した。1993年12月4日、52歳で病没した。生前に残したアルバムの数を、遺族が編集して、死後に発表したアルバムの総数が上回る。
同じ年に亡くなった人物
- アイリーン・シャラフ (1993年没)
- アーサー・アッシュ (1993年没)
- プッタタート (1993年没)
- サム・ワナメイカー (1993年没)
- 安部公房 (1993年没)
同じ地域に関係する人物
- リタ・グレイ (1995年没)
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- ジェフ・ラスキン (2005年没)
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