伝記
ルイス・ヴァス・デ・カモンイスは、ポルトガル史上最大の詩人とされ、その作品はホメーロス、ヴェルギリウス、ダンテなどの古典詩人と比較される。生涯を伝える記録は多くなく、伝わる話の多くは有名人にまつわる伝承にすぎないとも指摘される。ポルトガル王家につながる一族の人間として1524年頃にリスボンで生まれたとみられているが、誕生の地も日付も確定していない。小貴族の家に生まれ、父は海軍に仕えてギニアやインドで交易をしたシマン・ヴァス・デ・カモンイス、母はサンタレン出身の貴族の家のアナ・デ・サ・エ・マセドとされ、ルイスは一人息子だったという。初期の伝記作者が生年を1517年としたのに対し、後にインド館の記録を調べた研究者は1524年としている。
幼少期については分からない点が多いが、十二、三歳のころに聖職の道に進みサンタ・クルス修道院に入った叔父ベントに庇護されて教育を受け、コインブラで学んだとも伝えられる。ドミニコ会やイエズス会で教育を受け、コインブラ大学でも聴講したとされ、古典文学やギリシア語、ラテン語、スペイン語などを学んだ。宮廷に出入りして叙情詩人として歩み始め、貴族の女性たちとの恋愛や放縦な生活の伝承も残る。1549年に初の海外軍役としてアフリカ北西部の植民都市セウタに赴いたが、ムーア人との戦闘で右眼の視力を失った。リスボンに帰還した後、傷害事件を起こして投獄されたが、海外での軍務などと引き換えに釈放された。
1553年にインドの植民地ゴアへ向かい、戦闘に参加しながら現地の慣習や歴史を学んだ。インドでの歳月には度重なる苦難があり、何度か投獄されたとも伝えられる。軍務を終えるとマカオの士官として勤務し、同地で代表作『ウズ・ルジアダス』の執筆を本格的に始めた。1558年に帰国の途に就いたが、メコン川河口付近で難破し、中国人の愛人を失った。それでも『ウズ・ルジアダス』の原稿は守り抜き、その内容はこの難破によってさらに強化されたという。
1570年にリスボンへ戻り、1571年にこの叙事詩を公刊し、1572年に改訂した。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓を称え、大航海時代のポルトガルの航海者たちを格調高くうたった作品である。その後、セバスティアン1世から少額の年金を受けたが、1578年にはその王がアルカセル・キビールの戦いで敗死した悲報を聞いた。隣国スペインの軍がリスボンに迫るなか、カモンイスは「全ての者は、私は我が親愛なる祖国の一員としてではなく、その滅亡と共に死んだ事を甘受したという事実を見る事になる」と書いた。ポルトガルがスペインと同君連合を組み、事実上その支配下に入った1580年、56歳でこの世を去った。生前は不当な扱いや作品への関心の薄さを嘆いたが、死後、叙情詩は1595年に『叙情詩集』(リマス)としてまとめられ、三つの戯曲も残された。詩はやがて高く評価され、かつてポルトガルで発行された500エスクード紙幣には肖像が印刷された。ロカ岬には、『ウズ・ルジアダス』の一節「ここに地果て海始まる」を刻んだ石碑が立っている。1988年には、ポルトガルとブラジルの両政府が共同でカモンイス賞を創設している。
同じ年に亡くなった人物
- ジョヴァンニ・モローネ (1580年没)
- アンドレーア・パッラーディオ (1580年没)
- エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公) (1580年没)
- マリア・ヤコベア・フォン・バーデン (1580年没)
- アロンソ・ムダーラ (1580年没)
同じ地域に関係する人物
- マヌエル・ゴメス・ダ・コスタ (1929年没)
- John de Brito (1693年没)
- Jose Policarpo (2014年没)
- マリア・ドロテア・デ・ブラガンサ (1771年没)
- Sophia de Mello Breyner Andresen (2004年没)