伝記
バッリスタは、軍人皇帝時代のローマ帝国の軍人で、皇帝を僭称したとされる人物である。「カリストゥス」の名でも文献に現れ、本名がカリストゥスでバッリスタは通称だったとする説、両方の名を持っていたとする説、バッリスタが本名でカリストゥスは誤りだとする説がある。生年も出身も不明で、没年は261年頃とされる。『ローマ皇帝群像』が挙げる三十人の僭称者の一人にも数えられる。
おそらくウァレリアヌス帝の時期から親衛隊長官の職にあり、サーサーン朝ペルシアへの遠征軍にも従ったと考えられている。260年、エデッサの戦いでウァレリアヌスがペルシア軍の捕虜となると、共同皇帝だった息子ガリエヌスが単独の皇帝となった。残された軍勢の一部は、帝国の財務を担当していたマクリアヌスと、親衛隊長官のバッリスタに従った。両者は、パルミラの支配者オダエナトゥスとともに、キリキアを荒らして戻るペルシア軍を破ったとされ、シャープールの財宝や後宮を奪ったとも伝わる。ゾナラスは、バッリスタがポンペイオポリス(ソロイ)の沖で海戦に勝ったと記している。
勝利のあと、バッリスタはマクリアヌスに帝位に就くよう説き、その息子の小マクリアヌスとクィエトゥスを皇帝に立てさせた。自身はマクリアヌス父子のもとで親衛隊長官を務め、この擁立は9月17日より前のことだった。大マクリアヌスと小マクリアヌスは軍を率いて西へ向かい、バッリスタはクィエトゥスとともに東方に残った。261年秋、バルカン半島でマクリアヌス父子はガリエヌスに忠実な騎兵隊長、おそらくアウレオルスの軍に敗れ、殺された。
その後、ガリエヌスはオダエナトゥスに、かつての同盟者へ刃を向けるよう促したとされる。バッリスタの最期の時期と方法は確かには分からないが、261年11月頃に、オダエナトゥスの手によるものとされる。エメサの住民をバッリスタが扇動してクィエトゥスを殺させたという話もあり、エメサで自軍の兵に殺されたとする説もある。『ローマ皇帝群像』の記述にもとづく説では、バッリスタはクィエトゥスを殺して自ら皇帝を名乗り、その直後に殺されたとされるが、この説は疑わしいとみられている。
『シビュラの託宣』の中で、山羊として描かれた人物がバッリスタを指す可能性も指摘されている。また、ハリー・シドボトムの小説「ローマの戦士」シリーズでは、マルクス・クロディウス・バッリスタの名で主人公に据えられている。
同じ年に亡くなった人物
- レガリアヌス (260年没)
- 孫亮 (260年没)
- 献穆曹皇后 (260年没)
- 曹髦 (260年没)
- プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス (260年没)
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