伝記
フルクトゥオスス(タラコのフルクトゥオスス)は、259年に没したキリスト教の聖人であり、司教、殉教者である。イスパニアにおける初期キリスト教史の上で重要な名とされ、タラコ(現在のタラゴナ)の司教を務めた。生年は分からない。
当時のローマ皇帝はウァレリアヌス(在位253年から260年)で、その治下でキリスト教徒への迫害が行われていた。フルクトゥオスス司教は二人の助祭、アウグリウスとエウロギウスとともに逮捕された。三人は就寝しようとしていたところを捕らえられたと伝えられる。尋問では、いずれもキリスト教の神への信仰を認めた。総督アエミリアヌスから「あなたは司教か」と問われたフルクトゥオススが「そうだ」と答えると、尋問者は「お前はそうであった」と言い返したことが記憶されている。三人は火刑を宣告され、259年、タラコの円形闘技場で焼かれた。
処刑の場へ引かれていく途中、金曜日の午前十時であったが、フルクトゥオススは飲み物を断ったという。断食を解く時刻ではないというのがその理由で、長い投獄で疲れ、力が要る状態であったにもかかわらずそうしたと、18世紀の聖人伝作家アルバン・バトラーは記している。闘技場の門の近くでは、警備の役人が騒ぎを防ごうとしていたが、信徒の何人かが司教のそばに近づき、祈りを求めた。フルクトゥオススは皆に聞こえる大きな声で、東から西まで全世界の教会を心に留めておく務めがある、と答え、集まった人々に慰めと励ましの言葉を添えた。炎が立ち上って三人を包むと、彼らは腕を伸ばし、息絶えるまで神に祈り続けたという。
この殉教の記録(殉教録)は、イスパニアで最古のものとされ、後の時代の迫害の記録の多くと比べて、飾らない写実的な素朴さを備えていると評されている。その記録はプルデンティウスの賛歌にも言及され、ヒッポのアウグスティヌスによって称賛され、多く引用された。このためタラコの司教の歴史的な名簿は、フルクトゥオススから始まっている。祝日は1月21日である。
イタリア・リヴィエラのサン・フルットゥオーゾ修道院は、この聖人に捧げられている。スペイン南部アンダルシアのメディナ・シドニアの聖殉教者礼拝堂に再利用された古代ローマの円柱には、アウグリウスとエウロギウスらの聖遺物が納められたとする刻文があり、二人の助祭もここで名を挙げられている。タラゴナには、その名を冠した教会や学院、文化団体などが今も数多くある。カタルーニャには、聖フルクトゥオススの日に晴れれば豊年になるといった言い習わしも残る。