HISTORICAL PERSON · 1991年没

ジョン・バーディーン

アメリカの物理学者。トランジスタの発明と超伝導のBCS理論で二度ノーベル物理学賞を受け、この賞を二度受けた唯一の人物とされる。

生涯
1991年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ボストン)
出生地
アメリカ合衆国(マディソン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ジョン・バーディーンは、1908年5月23日にアメリカのウィスコンシン州マディソンで生まれた物理学者である。父は解剖学の大学教授で、ウィスコンシン大学医学部の初代学部長を務めた人物であり、母も教育者の経験があった。早くから数学の才能を示し、15歳だった1923年に高校を卒業した。早く卒業できたはずだったが、ほかの高校の授業も取ったことと母の死のため遅れたという。同年ウィスコンシン大学に入学し、在学中に加わった友愛会の会費の一部はビリヤードで稼いだという。父のような学者になりたくなかったことと、技術者なら就職に有利だと考えたことから電気工学を選び、1928年に学士号、1929年に修士号を得た。

卒業後はピッツバーグにあるガルフ石油の研究所で、1930年から1933年まで磁気や重力の探査データを読み解く方法の開発に携わった。しかし仕事に興味を保てず、プリンストン大学の数学の大学院に進んだ。ここで数学と物理学を学び、ユージン・ウィグナーの指導のもと固体物理の問題で論文を書いて、1936年に博士号を得た。論文の完成前の1935年にはハーバード大学のジュニア・フェローに迎えられ、1938年までパーシー・ブリッジマンらと金属の結合や電気伝導の問題に取り組んだ。この頃に紹介されたジェーンと結婚している。1938年からミネソタ大学の助教授を務め、第二次世界大戦が始まると海軍兵器研究所で磁気機雷や魚雷への対抗策を研究する班を率いた。

1945年10月にベル研究所に入り、ウィリアム・ショックレーと化学者スタンレー・モーガンが率いる固体物理のグループで、ブラッテンやジェラルド・ピアソンらと共に、壊れやすい真空管の増幅器に代わる固体素子を探した。1948年にショックレー、ウォルター・ブラッテンらとトランジスターの開発に成功した。同年、グラント・ゲイルは頼んで初期のトランジスターを2個分けてもらい、学部生たちに見せた。そのなかにいたロバート・ノイスが強く引かれ、のちの半導体集積回路の発明へつながっていく。トランジスターは電子産業を一変させ、電話からコンピューターまで現代の電子機器のほとんどを可能にしたとされる。1956年にはこの発明で最初のノーベル物理学賞を受賞した。

1951年にショックレーとの仕事を離れてイリノイ大学の教授となり、本格的に超伝導理論の研究を始めた。1953年に日本で開かれた国際理論物理学会に参加し、京都大学での超伝導分科会で中嶋貞雄が発表した電子とフォノンの理論に注目し、帰国後にそれをもとにした論文を発表した。中嶋は後年イリノイ大学に招かれ、二人は終生の友情を築いた。1956年に超伝導理論の文献報告をまとめ、1957年にレオン・クーパーをプリンストンから招き、大学院生のジョン・ロバート・シュリーファーらと超伝導の標準理論であるBCS理論を導き、1972年に2回目のノーベル物理学賞を受けた。物理学賞を2度受賞した唯一の人物とされる。趣味のゴルフで研究の合間に気分を切り替えたという。1965年にアメリカ国家科学賞、1971年に電気電子技術者協会の栄誉賞、1975年にフランクリン・メダルなどを受けた。

その後も日本をたびたび訪れた。最晩年にはNHKの番組にトランジスター開発当時の証言を残したが、放映前の1991年1月30日に亡くなった。息子たちも物理学者になり、長男のジェームスは宇宙論、次男のウィリアムは素粒子論を専門とした。

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