伝記
ジーン・ティアニーは、1920年11月19日にニューヨーク市ブルックリン区で生まれたアメリカの舞台・映画女優である。父は保険ブローカーとして成功した人物で、母は元体育教師。3人きょうだいの真ん中で、名は若くして亡くなったおじにちなむ。1926年に一家でコネチカット州へ移り、のちに2年をヨーロッパで過ごしてスイスのローザンヌで学び、流暢なフランス語を身につけた。1936年に帰国し、西海岸への家族旅行でワーナー・ブラザースのスタジオを訪れた際、監督のアナトール・リトヴァクから17歳の彼女は女優になるべきだと言われたという。ワーナーは契約を望んだが、娘の社交界での地位も望んだ両親は、給料が低すぎるとして辞退を勧めた。
1938年9月に社交界デビューを果たしたが、すぐに飽きて演技の道を選び、グリニッジ・ヴィレッジの小さな演技スタジオでベンノ・シュナイダーに学んだ。同年のブロードウェイ作品で舞台上をバケツの水を運んで横切る役を演じると、批評家は今まで観た中で一番美しい水運びだと評した。翌1939年にはアイルランド系の若い娘役が好評を得た。父は娘の活動を支えるため会社を興し、この年にはコロンビア ピクチャーズと6か月の契約を結んで、後に長年の友となるハワード・ヒューズと出会った。契約は主演予定作の製作遅れで終わり、ブロードウェイへ戻った彼女は1940年の舞台で批評家からも興行面でも大成功を収め、20歳になる前に複数の雑誌が写真特集を組んだ。
この舞台を、20世紀フォックスのダリル・F・ザナックが観に来たという噂が流れた。同じ夜、ナイトクラブでダンスフロアの若い女性に目を留めたザナックは、劇の女の子は忘れてあの子と契約せよとアシスタントに命じたが、それが当の本人だったという。こうして契約を結んだ彼女は、1940年のフリッツ・ラング監督の西部劇『地獄への逆襲』で映画デビューし、ヘンリー・フォンダと共演した。翌1941年には5本に出演し、ジョン・フォード監督『タバコ・ロード』ではエリー・メイ役を務めた。エルンスト・ルビッチ監督の『天国は待ってくれる』(1943年)で主役を張ると人気は急上昇した。撮影では厳しいルビッチに自ら言い返し、それをきっかけに意気投合したと本人は振り返っている。
1944年、オットー・プレミンジャー監督のフィルム・ノワール『ローラ殺人事件』で題名の役を演じ、これが代表作となった。1945年の『哀愁の湖』では嫉妬深くナルシストな悪女エレンを演じ、第18回アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。作品は同社の1940年代最大のヒットとなり、マーティン・スコセッシはこれを好きな作品に挙げ、彼女をハリウッド黄金時代で最も過小評価されている女優の一人と評した。以後も『剃刀の刃』(1946年)、『幽霊と未亡人』(1947年)、『鉄のカーテン』(1948年)、『街の野獣』(1950年)などに出演した。ザナックは彼女を、映画史上最も美しい女性と評した。
1952年にフォックスとの契約は終了し、MGMの作品などに出演した。その後しばらくヨーロッパに滞在し、1953年にはアメリカへ戻って映画に出た。私生活では2度結婚し、オレグ・カッシーニとの最初の結婚で生まれた第1子は先天性風疹症候群を患った。この出来事はアガサ・クリスティの小説『鏡は横にひび割れて』に影響を与えたといわれる。映画の最後の劇場公開出演作は1964年で、その後は散発的にテレビへ出た。最後の出演は1980年のミニシリーズで、1991年11月6日に世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- エフゲニー・F・ドラグノフ (1991年没)
- クラウス・バルビー (1991年没)
- ジェームズ・アーウィン (1991年没)
- ラーザリ・カガノーヴィチ (1991年没)
- ケヴィン・ピーター・ホール (1991年没)
同じ地域に関係する人物
- チャールズ・ホイットマン (1966年没)
- ロバート・ハーマン (1997年没)
- スティーブン・オースティン (1836年没)
- ジム・シードー (2003年没)
- リッキー・ネルソン (1985年没)