HISTORICAL PERSON · 1991年没

リチャード・ストーン

イギリスの経済学者。国民経済計算体系の開発と実証的経済分析の基礎の改良が評価され、1984年にノーベル経済学賞を受賞した。

生涯
1991年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
イギリス連邦(ロンドン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

ジョン・リチャード・ニコラス・ストーンは、1913年8月30日、ロンドンに生まれたイギリスの経済学者である。中流上層の英国式の教育を受け、クリヴデン・プレイスの学校とウェストミンスター校に通った。数学と科学を教わったのは、中等学校になってからだった。17歳のとき、父がマドラスの判事に任命されたのに従ってインドに渡った。インドからマレー、シンガポール、インドネシアなど、アジアの国々を訪れた。1年間の旅の後、ロンドンに戻り、1931年にケンブリッジ大学のゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに入学して、2年間、法律学を学んだ。

その後、経済学に転向した。もっと多くの経済学者がいれば、世界はもっとよくなると考えたからだという。1930年代の大不況で失業率が高く、その原因とそれを克服する方法を知りたいと思ったことも、動機となった。両親は、この選択に失望したが、ストーンは熱意をもって経済学を学んだ。ケンブリッジ大学で、リチャード・カーンやジェラルド・シャヴ、のちにケインズらの指導を受けた。統計学の師コーリン・クラークから、量的な考え方に大きな影響を受け、クラークが取り組む国民所得の測定の事業を紹介された。この事業が、ストーンに最大の名声をもたらし、ノーベル賞につながった。二人はやがて親友となった。1935年に経済学の学位を取得した。

ケンブリッジ大学を卒業した1936年から1940年までは、証券仲買会社で働くかたわら、月刊の統計誌に執筆した。第二次世界大戦が始まると、1940年から戦時内閣の官房で、統計家、経済学者として、戦時の国民経済の統計を作る仕事に従事した。ジェームズ・ミードと協力し、国家の資源を分析して、国民経済計算体系の初期の形をつくり、その成果は、ケインズの助力もあって、同年に白書として出版された。のち、中央統計局で、ケインズの助手にもなった。1945年に終戦で官職を離れ、ケンブリッジ大学に戻り、新設の応用経済学科の学科長となった。経済理論と統計学的方法の研究計画に重点を置き、当時の優れた経済学者を多く引き付けた。

1955年に教授となり、1980年まで、財政学と会計学を教えた。イギリスの国民経済計算を整備し、各国の統計の調整を図ったほか、国際連合の統計委員会の中心メンバーとして、1968年に発表された新しい国民経済計算体系の開発にも携わった。この体系は、国民経済を、モノとカネ、フローとストックの面からとらえ、産業連関表、国民所得勘定、資金循環勘定、国際収支表、国民貸借対照表の5つの指標を統合して、体系的に記録するものである。1955年には、J・A・C・ブラウンとともにケンブリッジ成長プロジェクトを始め、イギリス経済の多部門動学モデルを開発した。産業連関表における副産物処理の基本的な規則(ストーン方式)の考案者としても、高く評価されている。1978年から1980年には、王立経済学会の会長を務めた。1978年には、学科の関係者が設立した計量経済学の会社の初代名誉会長にもなった。1978年にナイトに叙され、1980年にケンブリッジ大学の名誉教授となった。1984年に、この業績によりノーベル経済学賞を受賞した。1991年12月6日に死去した。

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