伝記
ノーマン・パーシヴェル・ロックウェルは、1894年2月3日、ニューヨークのハーレムに生まれたアメリカ合衆国の画家・イラストレーターである。父ジャーヴィス・ウェアリングはフィラデルフィアの繊維会社のニューヨーク支店長を生涯務め、母はアン・メアリー(通称ナンシー)といった。祖先はイングランド系だった。最も古いアメリカの祖先は、1635年ごろ入植したジョン・ロックウェルとされる。1歳半上の兄ジャーヴィスがいた。比較的裕福な家に生まれたが、両親に親愛の情を抱くことはなかったという。
14歳で高校を離れ、チェイス美術学校(のちのパーソンズ・デザイン学校)に入り、さらに国立デザイン・アカデミー、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークで学んだ。そこでトーマス・フォガティやジョージ・ブリッジマンらに教わった。学生のころはメトロポリタン歌劇場の端役などの小さな仕事もした。10代のうちからプロとして活動し、最初は少年向けの雑誌やアメリカ・ボーイスカウト協会の雑誌『ボーイズ・ライフ』に絵を描いた。18歳で最初の大きな仕事となった児童書の挿絵を手がけ、のちに『ボーイズ・ライフ』の専属画家となり、1か月に表紙1点と物語の挿絵一式で50ドルを得た。19歳で同誌の美術編集者になって3年務め、その間に何点もの表紙を描いた。最初に掲載された表紙は、1913年9月号の「舵輪を握るスカウト」である。ボーイスカウトとの付き合いは64年に及び、その貢献に対して、世界で十数人にしか贈られていないシルバー・バッファロー章を受けている。
21歳のころ、一家はニューヨーク州ニューロシェルに移り、『サタデー・イブニング・ポスト』誌で働く漫画家クライド・フォーサイスとスタジオを共有した。1916年からその表紙を飾るようになり、1963年まで続いた。とりわけ1940年代から1950年代のものが人気を集めた。「ウィリー・ギリス」の連作や「リベット工のロージー」、「四つの自由」、「食前の祈り」などが知られる。田舎町の庶民の哀歓や温かな人間関係をユーモラスに描き、アメリカ人の心をとらえて、最もアメリカ的な画家の一人ともいわれる。一方、商業主義的で甘すぎるとして、批評家の一部からは真面目な画家と見なされなかった。彼自身は「イラストレーター」と呼ばれることを気にしなかった。
多作で、生涯に2000を超える作品を描いたとする資料と、4000を超えるとする資料がある。1943年にスタジオで起きた火事で多くの作品が焼失し、残ったものの多くは美術館の所蔵となった。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンなど40冊を超える本の挿絵を担当し、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンらの肖像も描いた。コカ・コーラなどの広告も手がけた。
晩年は、より真剣な主題に取り組むようになった。1964年の「私たちみんなが抱える問題」は、白人の学校に通おうとする幼い黒人の少女が、人種差別の落書きとトマトを投げつけられた跡のある壁の前を、連邦保安官に守られて登校する姿を描いている。社会性の強い、激しい一面を見せた作品である。1978年11月8日に世を去った。2006年には、1954年の作品『息子の旅立ち』が約1542万ドルで落札された。
同じ年に亡くなった人物
- Charles Pacome (1978年没)
- ハルトヴィヒ・シュテーンケン (1978年没)
- エドワード・リンドバーグ (1978年没)
- Jorge de Sena (1978年没)
- ルイ・プリマ (1978年没)
同じ地域に関係する人物
- ヨハン・シュプルツハイム (1832年没)
- ウィリアム・H・プレスコット (1859年没)
- ネルソン・グッドマン (1998年没)
- H・A・レイ (1977年没)
- スクアント (1622年没)