HISTORICAL PERSON · 1989年没

マーライ・シャーンドル

ハンガリーの作家、ジャーナリスト。1930年代に的確で明晰な現実主義の作風で注目され、カフカの作品について最初に批評を書いた人物でもある。

生涯
1989年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / サン・ディエゴ)
出生地
スロバキア共和国(コシツェ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

マーライ・シャーンドルは、1900年4月11日に生まれ、1989年2月に没したハンガリーの作家、ジャーナリストである。出生名はグロスシュミード・シャーンドル・カーロイ・ヘンリクという。オーストリア=ハンガリー帝国のカッシャ(現在のスロバキアのコシツェ)に生まれた。

父ゲーザは王国の公証人で、コシツェの法曹会の会長を務めた。トリアノン条約の後は、チェコスロバキアで議員になった。母はマルギットである。祖先は、もとはザクセン系の靴職人だったが、のちに貴族の称号と紋章を得た。父と二人の叔父は弁護士で、叔父の一人は、ハンガリーを代表する民法学者だった。三人の兄弟がおり、そのうちのゲーザは、のちに世界的な映画監督となった。両親は、市民としての教育に気を配り、6歳から9歳までは家庭教師がつき、その後はイエズス会の中等学校で学んだ。しかし14歳のころに家出をしたことなどで、学校を離れた。ブダの学校に入れられたが、厳しい規則に耐えられず、1年後にコシツェに戻り、1917年にカトリック系の高等学校を卒業した。ボヘミアン風の挑発的な服装がイエズス会に嫌われたことや、学生が独自に出版することへの反対も、転校の理由だった。若いころから別のペンネームで、新聞に記事を送っていた。家族は、作家を志す彼を支持せず、本人も孤独を深めていたが、才能への自信は揺るがなかった。

1918年の秋にブダペストに移り、大学の法学部、続いて文学部で学んだ。この年に最初の詩集が出版され、詩人コストラーニ・デジェーに評価された。ブダペストでは、クラブやキャバレーに通う、浪費的なボヘミアンの生活を送った。1919年には、ハンガリー・ソビエト共和国の熱心な支持者となり、共産党系の新聞で記者として働いた。この政権が倒れると、両親に促されて外国へ出た。フランクフルト、ベルリン、パリなどに移り住み、のちに母国語のハンガリー語を著述の言語として選んだ。1928年にブダペストに定住した。1930年代には、的確で明晰な現実主義で注目され、カフカの作品について最初に批評を書いた人物である。ナチスについては極めて批判的だった。

ほとんど小説ばかり46冊を著し、戦間期の中産階級文学で最も影響力のあるハンガリーの作家の一人とされる。1942年の小説『ろうそくは根もとまで燃える』(英語の題は『残り火』)は、過ぎ去ったオーストリア=ハンガリー帝国の多民族、多文化の社会への郷愁を表現した。2006年には、この小説を原作とする劇が、ロンドンで上演された。第二次世界大戦後、権力を握った共産主義体制を嫌って、1948年にハンガリーを離れた。イタリアでしばらく過ごしたあと、アメリカのサンディエゴに移住し、母国語で書き続けたため、1990年代半ばまで、英語では出版されなかった。1986年に妻を亡くすと、ますます孤立し、1987年には進行した癌と、息子ジョンの死でうつ病が悪化した。1989年にサンディエゴで、頭に銃弾を撃ちこんで生涯を終えた。作品は主にハンガリー国外で忘れられていたが、近年「再発見」され、多くの言語で再出版され、今日では20世紀ヨーロッパ文学の一部と見なされる。

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