HISTORICAL PERSON · 1989年没

アルフレッド・エイヤー

イギリスの哲学者。論理実証主義の代表者としてイギリスへ紹介し、著書『言語・真理・論理』や『知識の問題』で特に知られる。

生涯
1989年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
イギリス連邦(ロンドン)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

アルフレッド・ジュールズ・エイヤーは、1910年10月29日に生まれたイギリスの哲学者で、論理実証主義の代表者であり、それをイギリスに紹介した人物として知られる。姓はエアとも表記される。親しい友人からは「フレディ」と呼ばれた。イートン・カレッジで人文科学の教育を受けた。若い客人として、ウィーン学団に滞在し、学団を率いたモーリッツ・シュリックの下で議論に触れた。第二次世界大戦の間は、イギリス軍に徴兵されて、秘密情報部で働いた。1946年から1959年まで、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの「心と論理学」のグロート教授職に就き、その後はオックスフォード大学の論理学の教授に移った。1970年にナイトに叙勲された。生涯に4度結婚しており、その中には、ディー・ウェルズや、バネッサ・ローソンもいる。

最もよく知られた業績は、1936年の『言語・真理・論理』で示された、意味の検証原理である。23歳のときに書き始め、26歳のときに出版した。エイヤー自身は、この原理を、ある文が検証可能な経験的内容を持っている場合にのみ、その文は有意味になりうる、それ以外の、文の内容が同語反復であったり形而上学的であったりする場合は、文字通り意味を欠く、と定式化した。思想は、ウィーン学団とデイヴィッド・ヒュームから強く影響を受けた。この原理を明晰で鮮やかに、しかも論争的に提起したため、『言語・真理・論理』は、論理的経験論の中心学説についての必須文献となり、20世紀の分析哲学の古典とみなされ。この著作では、意識をもつ人間と意識を持たない機械の区別を、「異なったタイプの知覚的な振る舞い」の区別へと解消することを提唱した。この議論は、1950年に出版された、機械の知性を示す能力を問う試験の先駆けとされる。

1940年の『経験的知識の基礎』でのセンス・データ理論は、オックスフォードの同僚でもあったジョン・L・オースティンによって、1950年代の著作で批判され、エイヤーは1969年の論文で反論した。1956年の『知識の問題』も特に著名である。バートランド・ラッセルについては二つの著作を書き、ヒュームの哲学の入門書も著した。18世紀のフランスの哲学者ヴォルテールを非常に敬愛しており、何をも恐れず理性的に学問を試みた、その知的誠実さへの敬愛を、評伝『ヴォルテール』の序文で「彼の精神的勇気への私の感嘆の念」と表した。1972年から73年にかけて、セント・アンドルーズ大学でギフォード講義を行い、のちに『哲学の主要問題』として出版された。形而上学、神学、美学を含め、伝統的に哲学と呼ばれるものの大半は、真偽を判断できず、議論することは無意味だと主張した。

無神論者を自任していたが、「神はいない」という宣言にも賛意は与えず、神の存在という信念への同意を保留する立場であった。イギリスの世俗の人文主義の運動と密接にかかわり、1947年から死に至るまで、合理主義者出版連盟の名誉会員でもあった。1965年には不可知論採用協会の初代総裁に就いた。ファッションデザイナーが開いたパーティーで、若いマイク・タイソンが女性に嫌がらせをしているのを止めに入り、「私は前の論理学教授だ」と答えて、二人で話を始めたという逸話がある。1989年の死の寸前に、尋常でない臨死体験をした後でメディアの取材を受け、宗教的懐疑主義からの離反と誤解されることを避けようとした。1989年6月27日に死去した。

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