HISTORICAL PERSON · 1987年没

ウィリアム・P・マーフィ

大球性貧血の治療法の考案により、1934年にノーベル生理学・医学賞を受賞した内科医。レバーを大量に与えると貧血が改善することを発見した。

生涯
1987年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ブルックライン)
出生地
アメリカ合衆国(Stoughton)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ウィリアム・パリー・マーフィは、1892年2月6日にウィスコンシン州ストートンで生まれたアメリカ人の内科医である。父トマス・フランシスは、イングランド系とアイルランド系の血を引く会衆派の牧師で、母ローザ・アナ・パリーは、ウェールズ系の地主の家柄の出身であった。若いころにオレゴン州コンドンに移り、ウィスコンシン州とオレゴン州の公立学校で教育を受けた。1914年にオレゴン大学を卒業して学士となり、1922年にはハーヴァード大学医学大学院を卒業して、医学博士の学位を得た。

のちの悪性貧血の研究は、ウィップルの仕事の上に築かれた。1924年にウィップルは、犬から採血して貧血の状態にし、さまざまなものを与えて、回復の程度を測った。その結果、大量のレバーを食べさせると、他のどの食べ物よりも速く貧血が回復することを発見した。マイノットとウィップルは、治癒をもたらす物質を化学的に取り出そうと進めた。調べると、出血による貧血を治すのはレバーの鉄分だったが、レバーは悪性貧血の患者にも試され、そこでも効果が見られた。この場合の有効成分は、偶然に見つかったもので、鉄ではなく、水に溶ける抽出物に含まれる新しい物質だった。化学者たちはこの抽出物から、最終的にビタミンB12を取り出した。ビタミンが完全に解明される前から、生のレバーとその抽出物が、それまで不治の病だった悪性貧血を治すという知識は、医学の大きな進歩であった。マイノットとマーフィによる、特別な食事による悪性貧血の治療の論文は、1926年に発表された。こうして大球性貧血の治療法の考案により、ジョージ・H・ウィップル、ジョージ・リチャーズ・マイノットとともに、1934年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

1930年には、マイノットとともにエディンバラ大学のキャメロン治療学賞を受けている。1951年には、第1回のリンダウ・ノーベル賞受賞者会議に出席した7人のノーベル賞受賞者の一人であった。1919年9月10日にパール・ハリエット・アダムスと結婚し、医師となった長男のウィリアム・P・マーフィ・ジュニアと、長女プリシラ・アダムスを授かった。妻は1980年に亡くなった。1987年10月9日、マサチューセッツ州ブルックラインで、95歳で死去した。

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