HISTORICAL PERSON · 1986年没

クリスタ・マコーリフ

教師として航空宇宙局の計画に1万1千人超の応募者の中から選ばれ、チャレンジャー号爆発事故で亡くなった7人の乗組員の1人。

生涯
1986年没
死亡地
アメリカ合衆国(フロリダ州 / ケープ・カナベラル)
出生地
アメリカ合衆国(ボストン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(フロリダ州)

伝記

シャロン・クリスタ・コリガン・マコーリフは、1948年9月2日、マサチューセッツ州ボストンで生まれた教師である。会計士のクリストファー・コリガンと、臨時教員だったグレース・マリーの、5人の子の最年長で、アイルランド人、レバノン人、ドイツ人、イギリス人、アメリカ先住民の血を引いていた。母方の祖父は、レバノンのマロン派の家系で、アラブの歴史学者フィリップ・ヒッティの甥だった。幼いころから「クリスタ」の名で知られ、のちに署名も「S・クリスタ・マコーリフ」とするようになった。生まれた年に父はボストンカレッジの2年生で、まもなくデパートの会計監査役の補助の仕事を得た。一家はマサチューセッツ州フレーミングハムに引っ越し、彼女は1966年にマリアン高校を卒業した。若いころに、マーキュリー計画やアポロ計画に感化され、ジョン・グレンが地球を周回した翌日、高校の友人に「人類が月に行くことが実感できる? たぶんバスに乗るのね。私はそうしたい!」と語った。

地元のフレーミングハム州立大学に通い、1970年に教育学と歴史学の学士号を得て卒業した。数週間後に、高校時代から付き合っていたスティーブン・マコーリフと結婚し、夫がジョージタウン大学のロー・センターに通うため、ワシントンに転居した。夫妻には息子のスコットと娘のキャロラインが生まれ、彼女が亡くなったとき、二人は9歳と6歳だった。1970年にメリーランド州の中学校でアメリカ史の教師となり、1971年から1978年は別の中学校で歴史と公民を教えた。授業のかたわらボウイ州立大学に通い、修士号を取得した。1978年に夫の仕事のためニューハンプシャー州コンコードに移り、1982年からコンコード高校の社会科の教師となって、アメリカ史、法律、経済学を担当した。野外学習や講演を重んじ、歴史における普通の人々の影響を、国王や将軍と同じくらい重要だと強調したという。

1984年、レーガン大統領は、宇宙に最初に行く教員を民間から選ぶ計画を発表した。米航空宇宙局は、軌道上から生徒たちと交信できる「普通の先生」を探していた。マコーリフは、1985年に、1万1000人以上の応募者の中から選ばれた。応募書には「私は宇宙時代が生まれるさまを、つぶさに目撃してきました。こんどは私自身がそれに参加したいのです」と書いた。ニューハンプシャー州から選ばれた2人の一人で、最終候補の10人に残り、7月に医学検査のためジョンソン宇宙センターに1週間滞在した。7月19日、副大統領のブッシュが、マコーリフが乗組員に選ばれたと発表した。同局の職員は、「彼女は他の人に伝染するような熱意を持っていた」と語っている。バックアップに選ばれたのはバーバラ・モーガンだった。

マコーリフはスペースシャトルの飛行で、クロマトグラフィーや水耕栽培、ニュートン力学の実験を行い、15分間の宇宙授業を2度行う計画だった。訓練のために1年間の休暇を取り、テレビ番組にも多数出演して、すぐにメディアになじんだ。1986年1月28日、他の6名の乗組員とともにチャレンジャー号に搭乗した。打ち上げから73秒後に爆発し、7名全員が死亡した。多くの子供たちが打ち上げの中継を見ていた。事故原因を調べたロジャース委員会は、固体ロケットブースターの継ぎ目を密封するOリングが原因だと断定した。打ち上げ当日の気温が過去の最低温時よりもさらに15度低かったため、気密がうまくいかなかったと結論づけた。2004年7月23日、ジョージ・W・ブッシュ大統領から、宇宙名誉勲章を授与された。

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