伝記
クリフォード・リー・バートン、通称クリフ・バートンは、1962年2月10日にアメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれたベーシストで、メタリカの初期メンバーとして知られる。両親はレイ(1925年〜2020年)とジャネット、愛称ジャンで、兄のデヴィッド・スコットと姉のコニーがいた。両親は、幼いころの彼を、静かで賢く普通だが、他の子のすることでも、やりたくなければしない子だったと語っている。6歳のときにピアノを習い始めた。1975年、音楽の手ほどきを受けた兄が、脳動脈瘤で亡くなった。それをきっかけに、13歳だった彼はベースを始めて、音楽の教室に通った。兄のために最高のベーシストになると周囲に語ったが、両親は、最初は上達に苦労する様子を見て、本当に上手くなるとは思っていなかった。半年後、両親は確かな進歩に驚いた。1年ほどで教師を追い越し、次の教師に師事して、のちにジャズ・ベーシストのスティーブ・ドハーティに習い、ジャズからクラシックまでの多様な様式と楽譜の読み方を教わった。
高校を卒業してからは、のちにフェイス・ノー・モアに加わるジム・マーティンらとバンドを組み、トラウマというバンドで本格的に活動した。1982年、ロサンゼルスの店でトラウマとして演奏していたところ、メタリカのジェイムズ・ヘットフィールドとラーズ・ウルリッヒが店に入り、ソロを聴いた。ベースだと信じられなかったヘットフィールドは、すぐに彼をバンドに誘ったという。脱退したロン・マクガヴニーの後任であった。クリフはすぐには承諾せず、「君たちがサンフランシスコへ来るならいい」と告げた。バンドは、スラッシュ・メタルが勃興していたサンフランシスコの方が好意的に受け入れられていたこともあり、要求を呑んで拠点を移し、以後はそこを拠点としている。1983年3月5日にメタリカでデビューした。
初期のメタリカの音楽性に大きな影響を与えた。1作目は、彼の加入前に収録曲の大半が作曲されていたが、2作目と3作目では、勢い重視で一本調子になりがちだったサウンドに、叙情的なニュアンスと、プログレッシブな構成美が加わった。背景には、音楽の教室でクラシック音楽、特にバロック音楽を学んだことがあるとされる。ウルリッヒは「彼はメロディに関して、非常に熱心に語っていた」と振り返っている。ベースでリードをとるなど革新的な演奏は有名で、速い曲もツーフィンガー奏法でやすやすと弾いた。そのプレイスタイルから「ベースのジミ・ヘンドリックス」と呼ばれた。デニムのジャケットやベルボトムのジーンズを好み、ミスフィッツなどのバンドのTシャツを愛用して、パンク・ロックからの影響もうかがわせた。
1986年、人気を不動のものにしつつあったメタリカは、ヨーロッパ・ツアーでスウェーデンを訪れた。9月27日の早朝、移動中のツアー用のバスが路面の凍結でスリップして横転した。就寝中だったクリフは、窓から投げ出され、バスの下敷きとなって即死した。24歳であった。バンドはその後も活動を続けることにし、新しいベーシストにジェイソン・ニューステッドを迎えた。ニューステッドはピックで弾く奏法のみで、クリフとは正反対のタイプであった。2009年にメタリカがロックの殿堂入りしたとき、クリフも含めた形での受賞となり、父レイがスピーチを行った。ローリング・ストーン誌が選んだ史上最高のベーシスト50人では第25位に選ばれた。
同じ年に亡くなった人物
- ブランチ・スウィート (1986年没)
- オマール・アリー・サイフッディーン3世 (1986年没)
- バリー・シール (1986年没)
- クリスタ・マコーリフ (1986年没)
- マイケル・J・スミス (1986年没)
同じ地域に関係する人物
- Gosta Runo (1922年没)
- Olle Anderberg (2003年没)
- エレン・ケイ (1926年没)
- スヴェルケル1世 (スウェーデン王) (1156年没)
- イバール・ヨハンソン (1979年没)