HISTORICAL PERSON · 1986年没

ウォリス・シンプソン

エドワード8世の妻。「王冠を賭けた恋」として知られる結婚のため、王は退位してウィンザー公となり、彼女はウィンザー公爵夫人となった。

生涯
1986年没
死亡地
フランス共和国(パリ / ルートデュシャンデントレイネメント4番地)
出生地
アメリカ合衆国(Blue Ridge Summit)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ウィンザー公爵夫人ウォリスは、本名をベッシー・ウォリス・ウォーフィールドといい、1896年6月19日に生まれ、1986年4月24日に没した。ウィンザー公爵エドワード、すなわち元イギリス国王エドワード8世の妻である。「王冠を賭けた恋」として知られるこの結婚のため、エドワード8世は退位してウィンザー公爵となり、彼女も公爵夫人となった。

アメリカのボルチモアの一族ウォーフィールド家に生まれた。生後5か月で父を結核で失い、下宿を営む母と二人きりの苦しい生活となったが、幼少期は裕福な親戚の援助で、良家の友人たちに囲まれて育った。のちにボルチモアの社交界にデビューした。おしゃれや会話術に努力を払って男性たちを魅了し、「金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが夢なの」と周囲に語っていたという。1916年にアメリカ海軍の航空士官と結婚したが、夫のアルコール依存症と女癖の悪さに耐えかね、1927年に離婚した。1928年にはニューヨーク生まれの船舶仲介会社社長アーネスト・シンプソンと再婚した。

シンプソン夫妻を王太子エドワードに紹介したのは、当時の王太子の愛人テルマである。1931年1月、パーティーで二人は出会い、同年6月にはバッキンガム宮殿で、夫妻揃って王太子の父ジョージ5世に謁見した。テルマがニューヨークに出かけた1933年の冬頃、ウォリスは王太子と不倫関係になったとされる。以後、王太子はウォリスにのみ緊密に接するようになり、外遊には必ず同伴させた。

1936年1月にジョージ5世が亡くなり、王太子は独身のまま「エドワード8世」として王位を継いだ。エドワード8世は熱烈な手紙を送り、王室のヨットで海外旅行に出かけるなど、アピールを繰り返した。ウォリスは夫の不貞を理由に離婚を申し立て、1936年10月27日に勝訴した。国王が結婚の意思をラジオ演説で訴えようとすると、ボールドウィン首相は立憲君主制への重大違反だと伝えた。11月には、新聞がこれ以上沈黙を守れず、王制そのものの問題に発展しかねないとする文書で、退位を迫った。国王は退位を決意し、12月11日にラジオを通じて退位を表明した。「後ろで、はね橋があがっていく」と語ったという。

ウォリスは、イギリスのマスコミの批判を逃れて、カンヌの別荘に避難した。エドワードは12月12日深夜にポーツマスの軍港からイギリスを去り、翌1937年6月3日にフランスのトゥールで二人は挙式した。式に招かれたのは友人16人だけで、王室と政府からは誰も来なかった。エドワードにはウィンザー公の称号が授けられ、ウォリスは「公爵夫人」となったが、王室の怒りは解けず、新王ジョージ6世の母メアリー王太后や、王妃エリザベスは、病弱な王を無理に王位につかせたとして彼女を憎み、夫妻を公式行事に招くことはなかった。

フランスで暮らす夫妻に目をつけたのは、ヒトラーだった。夫妻をドイツに招くと、熱狂的な歓迎を受けた。ナチ党寄りの言動が目立つようになったため、イギリス政府はウィンザー公をバハマ総督に任命し、二人をヨーロッパから離した。ウォリスは戦時下の5年間をバハマの首都ナッソーで暮らした。戦後はフランスへ戻って半ば引退の生活を送り、1967年のメアリー王太后生誕100年式典で、初めて公爵夫人として招かれた。1972年に夫エドワードが亡くなると、葬儀のためバッキンガム宮殿に滞在した。のちはパリのブローニュの森の自宅で余生を過ごし、1986年に亡くなった。葬儀はイギリスで執り行われ、遺体はウィンザー城近郊の王立墓地に葬られた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物