HISTORICAL PERSON · 1316年没

ジャン1世 (フランス王)

カペー朝の第13代フランス王。父ルイ10世の死後に生まれて即位したが、生後1週間もたたず崩御し、毒殺の噂も広まった。遺児王と呼ばれ、王位は父の弟がフィリップ5世として継いだ。

生涯
1316年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ジャン1世は、フランス・カペー朝の第13代国王(在位1316年11月15日から11月19日)である。ナバラ王も兼ね、その名はフアン1世ともいう。第12代国王ルイ10世と、2度目の王妃クレマンス・ド・オングリーの子で、父の死後に生まれたため、「遺児王」と呼ばれる。フランス王のなかでもっとも幼く即位した人物で、生まれた時から国王であった唯一の王であり、その生涯を通じて王位にあった唯一の王でもある。在位は4日で、争いのない王のなかでは最短である。

1316年6月5日に父王ルイ10世が世を去ったとき、ルイ10世には王女ジャンヌしかいなかった。しかし、2度目の王妃クレマンスが懐妊中であったため、男子の誕生を待つことになり、ルイ10世の弟フィリップが摂政をつとめた。摂政をめぐっては、叔父のシャルル・ド・ヴァロワとの対抗もあったとされる。父から子へ王位が受け継がれてきた流れが途切れるのは、初代のユーグ・カペー以来はじめてのことで、男子の誕生に期待がかけられた。11月15日に男子ジャンが生まれ、出生と同時に父の後を継いで国王に即位した。だが、生後1週間もたたずに、11月19日に世を去った。幼い王は、サン=ドニ大聖堂に葬られた。この死により、3世紀にわたる父子相続が途絶えた。

王位は摂政の叔父が継ぎ、フィリップ5世となった。この時に王位を奪われた形になったのが、ルイ10世とマルグリット・ド・ブルゴーニュの娘で、4歳だった異母姉のジャンヌである。フィリップの即位の正統性が争われたことが、女性を王位継承から除くサリカ法の再確認につながった。

中世ヨーロッパは乳幼児の死亡率が高く、ジャンの死因も多くの可能性があるが、崩御の直後から毒殺のうわさが広まった。そのひとつは、叔母に針で刺殺されたというものである。ジャンの死で利益を得る者は多く、しかも父ルイ10世がジュ・ド・ポームの後に急死するという疑わしい状況だったため、うわさが広まったのである。現代でもジャンの死因は知られていない。

その後も、この幼い王をめぐって伝説が生まれた。叔父のフィリップが毒殺したという話が流れ、さらに数十年後には、幼いジャン王は死んでいなかったという説まで語られた。ジャン善良王の捕囚中(1356年から1360年)に、ジャンニーノ・バリオーニと名乗る人物が、自分こそジャン1世で王位継承者だと主張した。彼は教皇インノケンティウス6世に謁見を拒まれ、各地で承認を得ようとしたが、捕らえられて、1363年にナポリの獄中で没した。

ジャンは当時、フランス王の一人とは扱われなかったが、後世の歴史家や年代記作家が、のちに即位した同名の王をジャン2世と数えたことから、現代ではフランス王と認められている。

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