伝記
ジェームズ・キャグニーは、1899年7月17日、ニューヨークのマンハッタンのロウアー・イースト・サイドで、アイルランド系の家庭の次男として生まれた俳優である。本名はジェームズ・フランシス・キャグニー・ジュニアという。父は酒場の店員でアマチュアのボクサーでもあり、母の父はノルウェー人の船長、母方の祖母はアイルランド人だった。七人きょうだいのうち二人は生後まもなく亡くなり、彼自身も幼少期は大変体が弱く、母は洗礼を受けさせる前に死ぬのではないかと恐れたほどだった。生活は貧しかったが、「喧嘩っ早い父親としっかり者の母を中心に仲のいい幸せな家族であった」と後年回想している。少年のころにタップダンスを始め、地下室の傾斜した戸の上で踊る癖から「地下室の戸のキャグニー」と呼ばれた。ボクシングにも打ち込み、賞金の出る試合への出場を依頼されるほどの腕前だったが、母に反対されて断念した。
1918年に高校を卒業し、コロンビア大学に入学したが、同年に父がスペイン風邪で亡くなり、家計を助けるため大学を中退した。建築の製図工や新聞社の使い走り、図書館の司書、ホテルのボーイなどさまざまな仕事に就き、稼いだ金はすべて家に入れた。より高収入を得ようと芸人に転職して、ヴォードヴィルやブロードウェイの舞台に立った。初仕事は、コーラスラインの女性ダンサー役だったという。1922年にヴォードヴィル一座の女優フランシス(愛称ビル)と結婚し、全米を巡業した。同じく下積みだったケーリー・グラントとコンビを組んだこともある。舞台の主役に抜擢されたことをきっかけに、1930年にワーナー・ブラザースに見出されて映画界に入り、その映画版でデビューした。
1931年の『民衆の敵』で、酷薄で凶暴なギャングのトム・パワーズを演じて大評判となり、一躍トップスターとなった。パワーズが食卓で情婦の顔に半切りのグレープフルーツを押し付ける場面は、大変有名になった。しかしギャングの役に飽き足らず、コメディや西部劇などに挑戦し、1933年の『フットライト・パレード』ではヴォードヴィル時代に培ったダンスを披露した。1935年にワーナーを離れて独立系の会社を設立したが、興行的に失敗し、1938年に古巣へ戻って『汚れた顔の天使』に出演した。処刑前にわざと臆病に振る舞い、少年たちのギャングへの憧れを断ち切ろうとする男を演じて、ニューヨーク批評家協会賞の男優賞を得た。
1942年には、「ブロードウェイの父」ジョージ・M・コーハンの伝記映画『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』に出演した。製作側のワーナーは当初フレッド・アステアを考えていたが、キャグニーは説得して役を得て、見事なダンスと歌を披露した。この作品は大ヒットし、彼に唯一のアカデミー主演男優賞をもたらした。1949年の『白熱』では異常性格の凶悪なギャングを演じ、1955年の『情欲の悪魔』でも強烈な印象を残した。最後の主演作は、ビリー・ワイルダー監督の風刺コメディ『ワン、ツー、スリー』(1961年)だった。引退後はニューヨーク州のスタンフォードビルで、50年以上連れ添った妻とともに悠々自適に暮らし、1986年3月30日に心臓発作で死去した。
同じ年に亡くなった人物
- スタンリー・ラウス (1986年没)
- オルドリッチ・リプスキー (1986年没)
- ゴッフレード・パリーゼ (1986年没)
- ゲルハルト・ロルフス (言語学者) (1986年没)
- カルル・ブルックナー (1986年没)
同じ地域に関係する人物
- ジュリー・ボヴァッソ (1991年没)
- Jose Miguel Gomez (1921年没)
- アーネスト・ナーゲル (1985年没)
- ヘレン・ヘイズ (1993年没)
- Robert Curry (1944年没)