伝記
レオニート・ヴィタリエヴィチ・カントロヴィチは、1912年1月19日(ユリウス暦1月6日)、サンクトペテルブルクでユダヤ人の家庭に生まれたソビエト連邦の数学者、経済学者である。父は医師として活動していた。数学に非常に秀でており、1930年にレニングラード大学の数学科を卒業した。同年に博士論文を提出したが、当時は学位が廃止されていたため、大学の博士の称号を授けられたのは1935年になってからだった。22歳でレニングラード大学の教授に任命され、あらゆる応用数学の問題に取り組んだ。この時期には、等角写像の新しい近似法や、新しい変分法に関する研究がある。
若い研究者はソビエト政府のためにも働き、1938年には、合板の生産を最適化する課題を課された。その仕事を通じて、第二次世界大戦の少し前に、線形計画法を発見した。計画経済下での生産の最適化への応用に関心を深め、1939年に『生産の組織と計画の数学的方法』を著した。資源の最適配分に関する研究を進め、この業績で1949年にスターリン国家賞を受賞している。この分析は、まもなく経済における価格の役割という問題に突き当たり、価格が生産物の相対的な希少性によって決まるという結論に至った。この結論は、限界効用の理論を間接的に導入するもので、古典的なマルクス経済学の労働価値説とは、部分的に対立していた。同じ1939年に軍部工学専門大学の教授となった。
レニングラードの包囲の間は、海軍の学校の教授となり、「命の道」と呼ばれる、凍ったラドガ湖を渡って冬に車で物資を運ぶ氷の道の安全を担当した。氷の厚さと気温に応じて、車の間隔をどのくらい取るのが最適かを求めた。1941年12月から1942年1月にかけて、自ら氷上の車列の間を歩いて、理論の正しさを確かめたという。それでも、包囲された人々のための食糧を乗せた多くの車が、ドイツの空爆によって破壊された。その功績と勇気に対し、祖国戦争勲章と、レニングラード防衛のメダルを授けられた。1938年から1948年の間には、核開発計画への関与があったために、二度、投獄を免れたとされる。
連続的な最適化の問題でも成果を挙げ、ニュートン法の収束条件である「カントロヴィチの定理」や、コーシー・シュワルツの不等式の特殊な場合である「カントロヴィチの不等式」に名を残している。理論はスターリン時代が終わってから公にされた。数学の論文は、相関分析、近似理論、演算子理論、変分法、偏微分方程式などに及ぶ。経済学での主な業績は、資源の最適配分を扱う「最適計画」で、乗数の経済学的な解釈や、双対の方法の概念などがある。1959年には『経済資源の最良の利用』を著した。1960年までレニングラードで教え、1961年からはソビエト科学アカデミーのシベリア支部で数学と経済学を研究した。1965年にレーニン賞を受け、1971年からはモスクワに作られた経済数学の研究センターを率いた。1975年に、チャリング・クープマンスとともに、資源配分の理論への貢献で、ノーベル経済学賞を受賞した。ソ連の研究者でこの賞を受けたのは、彼だけである。1986年4月7日、モスクワで死去した。
同じ年に亡くなった人物
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