HISTORICAL PERSON · 1986年没

ジョージア・オキーフ

アメリカの女性画家。拡大した花や牛の頭蓋骨の絵で知られ、抽象画を描いたアメリカの最初期の画家の一人でもある。

生涯
1986年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューメキシコ州 / サンタ・フェ)
出生地
アメリカ合衆国(Sun Prairie)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューメキシコ州)

伝記

ジョージア・オキーフは、1887年11月15日、ウィスコンシン州サンプレーリーの農家に生まれた、20世紀のアメリカを代表する女性画家である。父フランシスはアイルランド系で、母アイダはハンガリーからの移民の家の出であり、ともに酪農を営んでいた。母方の祖父ジョージ・ヴィクター・トットは、1848年に移民した人物で、ジョージアの名はその祖父にちなんだ。7人兄弟の2番目で、長女だった。10歳のころには、画家になると決めていたといい、地元の水彩画家に姉妹で絵を習った。マディソンの高校に通った後、一家はバージニア州に移り、彼女もそこで学校を卒業した。

1905年にシカゴ美術館附属美術大学で絵画を学び始め、その後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグでウィリアム・メリット・チェイスに師事した。1908年には、リーグの静物画の賞を受けた。ニューヨークの滞在中に、のちの夫となる写真家のアルフレッド・スティーグリッツが運営に関わるギャラリーを訪れている。しかし、父が破産し、母は結核で重い病にあり、学費を出せなくなった。自然を写し取る伝統的な教育にも不満があり、1908年にシカゴに戻って、イラストレーターとして働いた。1910年、病気が元で家族のいたバージニア州に移り、一時、絵画から離れたが、バージニア大学の夏期講座でアーサー・ウェズリー・ダウに出会い、再び描くようになった。ダウは、自然を模倣するのではなく、様式や構成、個人的な解釈によって作品を作ることを説いた。これでオキーフの取り組みは大きく変わり、1915年の木炭画では、完全な抽象に至った。

1916年には、スティーグリッツが彼女の作品の展覧会を開いた。1918年に、スティーグリッツの求めでニューヨークに移り、職業画家として活動を始めた。二人は仕事上も私生活でも深い関係を築き、1924年に結婚した。オキーフは、画面いっぱいに拡大した花の絵で、名を知られるようになった。それらが女性の性を表すと見る人も多かったが、本人はそうした意図を否定した。スティーグリッツが撮影し、展示した彼女の官能的な写真も、そうした見方を後押しした。ニューヨークでは、摩天楼の絵も描いた。

1929年から、一年のうちの一部を、南西部で過ごすようになった。この土地は、ニューメキシコの風景画や、牛の頭蓋骨をイコンのように威厳をこめて描いた作品群の着想の源となった。スティーグリッツの死後は、ニューメキシコに定住し、アビキューを経て、晩年はサンタフェで暮らした。70年に及ぶ長い画歴のなかで、ほとんど風景と花、動物の骨だけを描き続けた。基本は具象的なモチーフにこだわりながら、生涯、抽象への関心を抱き続けたため、アメリカで最初期に抽象画を描いた画家の一人ともされる。作品には、『街の夜』(1926年)、『抽象 第6番』(1928年)、『赤・白・青』(1931年)などがある。1986年3月6日に、サンタフェで世を去った。2014年には、1932年の作品『チョウセンアサガオ』が4440万ドルで売れ、女性の画家の作品として、それまでの記録の3倍以上の額となった。1997年には、サンタフェにジョージア・オキーフ美術館が開館した。

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