伝記
ジョン・アダム・ベルーシは、1949年1月24日、シカゴのハンボルト・パークで、アルバニア系移民の家庭に生まれた俳優、コメディアン、ミュージシャンである。母アグネスは、アルバニアのコルチャ出身の移民の娘としてオハイオ州で生まれ、薬局で働いていた。父アダムはアルバニアの出身で、シカゴで飲食店を営んでいた。ジョンはウィートンで、弟のビリーとジム、妹のマリアンとともに育った。東方正教会のアルバニア正教会に通っていた。ウィートン・セントラル高校で、のちに妻となるジュディス・ジャクリンと出会った。1965年には高校の仲間4人とロックバンド「レイヴンズ」を結成し、ドラムとボーカルを担当した。シングルを一枚録音したが売れず、彼が大学に進むとバンドは解散した。
1967年の夏には、インディアナ州の夏季劇場でいくつかの芝居に出演した。ウィスコンシン大学ホワイトウォーター校に1年通った際の出来事は、後年の映画『アニマル・ハウス』の、バイクで階段を上る場面のヒントになったという。のちに弟ジムの通う南イリノイ大学を訪れたとき、印刷店で、映画の劇中で着ることになる大学名入りのトレーナーを手に入れた。南イリノイ大学時代はアメリカンフットボールのラインバッカーとして活躍した。やがてシカゴで、ティノ・インサナらと「ウェスト・コンパス・トリオ」という喜劇の一座を作り、その成功が劇団セカンド・シティの創設者バーナード・サリンズの目に留まった。1971年にシカゴの即興劇団「ザ・セカンド・シティ」に加わり、ハロルド・ライミスらと出会って、人気を博した。
1972年、ウッドストックのパロディである「ナショナル・ランプーン・レミングス」の舞台にチェビー・チェイスらと出演し、ジョー・コッカーの歌真似を披露した。夫妻はニューヨークに移り、彼は1973年から1975年にかけて、ラジオ番組「ナショナル・ランプーン・ラジオ・アワー」の構成や新人のスカウトも任された。1974年のトロント旅行で、ダン・エイクロイドと親しくなった。1975年、チェイスらの推薦でNBCの『サタデー・ナイト・ライブ』のオーディションを受け、制作者ローン・マイケルズは、その身体的な笑いが合うかを当初ためらったものの、考えを変えて出演を認めた。ビル・マーレイらとともにオリジナル・メンバーの一人となり、キッシンジャー国務長官やマーロン・ブランドなどの物真似、『用心棒』をパロディにした「サムライ」シリーズ、「ギリシャ料理店のオーナー」などの芸風で人気を得た。
1978年公開の『アニマル・ハウス』は低予算ながら大ヒットし、主演の彼は「ニューズウィーク」の表紙に登場した。以後も『1941』などに出演した。エイクロイドと結成したバンド、ブルース・ブラザースでは、兄のジェイクを演じてメインボーカルを担当した。映画『ブルース・ブラザース』(1980年)は世界的な知名度を獲得し、1981年にはプロモーションのため来日している。1982年3月5日、人気の絶頂期に、ロサンゼルスの高級ホテル、シャトー・マーモントの客室で、33歳で死去した。スピードボールと呼ばれる、コカインとヘロインの混合物の乱用が原因とされる。2004年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにプレートが埋め込まれた。
同じ年に亡くなった人物
- ヴワディスワフ・ゴムウカ (1982年没)
- レオニード・ツィプキン (1982年没)
- ドロシー・ラウンド (1982年没)
- Herbert Richardson (1982年没)
- ジェヴデト・スナイ (1982年没)
同じ地域に関係する人物
- コリン・マクフィー (1964年没)
- エドワード・アングル (1930年没)
- エドワード・ドミトリク (1999年没)
- マーゴ・ヘミングウェイ (1996年没)
- ジェーン・ワイマン (2007年没)