伝記
ジェヴデト・スナイは、1899年2月10日にオスマン帝国のトラブゾン州チャイカラ近くのアタキョイ村で生まれた、トルコの軍人、政治家で、1966年から1973年まで、トルコ共和国の第5代大統領を務めた。エルズルムとエディルネの小学校と中学校に通ったあと、イスタンブールのクレリ軍事高等学校を卒業した。第一次世界大戦には1917年から尉官として従軍し、パレスチナ戦線で戦ったが、翌1918年にイギリス軍の捕虜となり、エジプトの捕虜収容所に入れられた。釈放後はトルコ独立戦争に従軍し、最初は南部戦線でフランスと、ついで西部戦線でギリシアと戦った。
1927年まで再び軍事教育を受け、1930年には陸軍大学を卒業して、参謀将校となった。1929年にアトゥフェット夫人と結婚し、アッティラ、アイセル、アルグンの三人の子をもうけた。1949年に将官になり、1959年には大将に昇進して、軍の要職を歴任した。1960年に陸軍総司令官に就任し、ついで参謀総長となった。1966年3月14日、ジェマル・ギュルセル大統領により、上院議員に任命された。ギュルセルが病気のために職務を遂行できなくなると、憲法に従って、同年3月28日にトルコ大国民議会により第5代の大統領に選出された。
在任中は、左右の政治対立が激化し、労働運動、学生運動、政治テロが頻発した。テロ活動の増加や学生の暴動、クーデターの脅威にもかかわらず、職にとどまった。1971年には軍部の政治介入によって、公正党のデミレル政権が退陣に追い込まれるなど、不安定な政局が続いた。外国との関係では、1967年にはアメリカのジョンソン大統領と会い、1971年にはペルシア帝国建国2500年を記念するメダルを、フィンランドからは白薔薇勲章の大十字章を受けた。イギリスからはバス勲章のナイト・コマンダーも贈られている。憲法に定められた7年の任期を務め、1973年3月28日に退任して、終身上院議員となった。
1982年5月22日、心臓発作のためにイスタンブールで死去した。遺体は1988年8月に、新たに造られたアンカラのトルコ国家墓地に、永久の埋葬地として移された。
同じ年に亡くなった人物
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