伝記
アーチボルド・ジョセフ・クローニンは、1896年7月19日にスコットランドのダンバートンシャーのカードロスで、長老派の母ジェシー(旧姓モンゴメリー)とカトリックの父パトリックの一人息子として生まれた小説家、劇作家である。作家はのちに、こうした混合した背景を持つ若者をしばしば描いた。母方の祖父は帽子屋で、ダンバートンに店を持っていた。父方の祖父母はアイルランドから移民し、ガラスや陶磁器の商人になった。両親は結婚後まもなくヘレンズバラに住み、息子はグラント・ストリート小学校に通った。7歳のとき、保険の外交員で巡回販売員でもあった父が結核で亡くなり、母は子を連れて実家のダンバートンに移った。母はのちにグラスゴーで初の女性の公衆衛生検査官となった。
ダンバートン・アカデミーでは、作文のコンクールで賞を取る早熟な生徒で、優れた運動選手でもあり、サッカーの選手だった。幼いころからゴルフを愛し、生涯楽しんだ。一家はグラスゴーのヨークヒルに移り、セント・アロイシャス・カレッジに通った。聖職に就くか医学を修めるかという家族の願いに対しては、「二つの悪のうち軽いほう」として医学を選んだ。1914年、カーネギー奨学金を得てグラスゴー大学で医学を学び始めた。1916年から1917年は、第一次世界大戦のイギリス海軍の外科医として休学し、1919年に最優等の成績で卒業した。同年、客船の船医としてインドを訪れている。その後、南ウェールズの鉱山町トレデガーなどで開業医として働いた。1924年にはイギリス全土の鉱山の医務監督官に任命され、炭鉱の医療規則の調査や、炭塵の吸入と肺疾患の関係についての報告書を発表した。1925年にグラスゴー大学で医学博士号を取得し、その後ロンドンに移ってハーレー街で開業し、ノッティング・ヒルでも忙しく診療した。
1930年、慢性の十二指腸潰瘍と診断され、田舎で6か月、牛乳による食事療法をして完全に休養するよう命じられた。ロッホ・ファインに近いダルケナ農場で、これまで処方箋と科学論文しか書いてこなかった彼は、長年の願いだった小説の執筆に取りかかった。『帽子屋の城』を3か月で書き上げ、ゴランツ社に持ち込むとすぐに受け入れられた。この作品はたちまち成功を収め、作家としての道を開いた。以後、医療の現場には戻らなかった。
鉱山町の医療調査の経験は、ウェールズを舞台にした『城砦』(1937年)や、ノーサンバーランドを舞台にした『星は地上を見ている』(1935年)に生かされた。『城砦』は、ウェールズの鉱山村で働いた医師が、ロンドンで高収入の私的な診療に移り、一部の医師の強欲と無能に幻滅する物語で、英国の医療の不公平を暴き、国民保健サービスの発足にも影響を与えたとされる。ほかに『天国の鍵』などがあり、これらの小説の多くは映画化された。日本でも、『城砦』や『地の果てまで』などを原作とするテレビドラマや映画が作られている。1935年の中編『カントリー・ドクター』は、BBCのラジオとテレビの長期シリーズ『フィンレイ先生の事件簿』(1962年から1971年)になった。多くの作品がベストセラーとなって数か国語に翻訳された。1981年1月6日に没した。
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