伝記
ジャック・プレヴェールは、1900年2月4日、パリの西隣にあたるヌイイ=シュル=セーヌに生まれたフランスの詩人、映画の脚本家、童話作家である。父アンドレはブルターニュ系、母シュザンヌはオーヴェルニュ系であった。15歳からパリの商店や百貨店で働いた。1920年、20歳のとき徴兵先のリュネヴィルでのちの画家イヴ・タンギーと知り合い、翌年には駐留先のコンスタンティノープルで、のちに編集者となる人物とも知り合った。1922年にパリへ戻ると、映写技師をしていた弟ピエールの勤める映画館に、三人で入り浸った。
1924年から三人はモンパルナスで共同生活を始め、1925年からはそこへ、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ミシェル・レリス、レーモン・クノーらシュルレアリストが出入りした。プレヴェールも一時は彼らに同調したが、1928年に疎遠となって絶縁し、タンギーらと映画づくりに打ち込みながら、雑誌に詩を載せ始めた。1932年にはポール・グリモーやジャン=ルイ・バローらの政治宣伝劇団「十月グループ」のために脚本『新聞ばんざい』や『フォントノワの戦い』を書いた。後者は、モスクワの左翼演劇コンクールで一等賞を取ったという。
十月グループが解散した1936年から1945年にかけては、約20本の映画のシナリオと台詞を書き、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジャン・グレミヨンらの監督、ジャン・ギャバンやアルレッティ、ミシェル・モルガンらの俳優と仕事をした。『霧の波止場』『陽は昇る』などがあり、1944年の『天井桟敷の人々』の脚本で知られる。台詞の素晴らしさに定評があった。撮影所の仲間だった作曲家ジョゼフ・コズマは、1935年の『美しい星へ』以降、プレヴェールの詩によるシャンソンを50曲も作り、イヴ・モンタン、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコらが歌った。『枯葉』もその一つである。1940年からのナチスによる占領期には、南仏に疎開した。
1946年、43歳のとき、勧められて最初の単行本『パロール』を出版した。書きためた自由詩、散文詩、メモなどの寄せ集めだったが、待たれていたように売れ、のちのちまで数百版を重ねたといわれる。同じ年に妻ジャニーヌとのあいだに一人娘が生まれると、童話を書くようになり、写真家のイーラや画家のアンドレ・フランソワらと子供の本を作った。1948年に転落事故を起こしたが、その後も詩集や童話を出し続けた。生涯、平易な言葉で詩を綴り、ピカソ、シャガール、エルンスト、ブラック、ミロといった画家や写真家のイジスとも美術書を編んだ。女優アヌーク・エーメのデビュー作にも脚本で関わっており、役名の「アヌーク」を彼女が芸名に使い、「エーメ」を付け足すことをプレヴェールが提案したという。
1977年4月11日、77歳で、マンシュ県オモンヴィーユ=ラ=プチットの家で肺がんのため亡くなった。没後には二つの詩集が出版された。生前の詩集には、『物語』『スペクタクル』『雨と晴天』『がらくた集』『物そのほか』などがある。日本では、嶋岡晨や大岡信らの翻訳で詩集が紹介され、高畑勲による『ことばたち』の訳と注解も出ている。
同じ年に亡くなった人物
- スティーヴン・ボイド (1977年没)
- マイーザ (1977年没)
- サバーハ3世・アッ=サバーハ (1977年没)
- Jose Peracio (1977年没)
- アリソン・ヘイズ (1977年没)
同じ地域に関係する人物
- アウドヴェラ (580年没)
- アラン・シモンセン (レーサー) (2013年没)
- マクシム・モーフラ (1918年没)
- ベレンガリア・オブ・ナヴァール (1230年没)
- ヨアキム・ボニエ (1972年没)