HISTORICAL PERSON · 1976年没

ジャック・モノー

フランスの生物学者。ジャコブとともに遺伝子の働きを調節するオペロン説を提出し、1965年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。著書「偶然と必然」でも知られる。

生涯
1976年没
死亡地
フランス共和国(アルプ=マリティーム県 / カンヌ)
出生地
フランス共和国(17区)
出典
世界地図
フランス共和国(アルプ=マリティーム県)

伝記

ジャック・リュシアン・モノーは、1910年2月9日にパリで生まれたフランスの生物学者である。動物学を学んで1931年にパリ大学を卒業し、その後、原生動物やショウジョウバエの遺伝学を研究した。学生時代のモノーは、授業の内容が当時の生物学の進歩より数十年遅れていると感じ、教員よりも少し年長の学生たちから多くを学んだという。のちに彼は、ジョルジュ・テシエに量的な記述を好む姿勢を、アンドレ・ルヴォフに微生物学の可能性を、ボリス・エフルッシに生理遺伝学を、ルイ・ラプキンに、生物の機能の完全な解釈は化学的、分子的な記述だけが与えうるという考えを負っていると述べている。博士論文の前には、アメリカのカリフォルニア工科大学でトーマス・ハント・モーガンの研究室に1年間滞在してショウジョウバエの遺伝学に取り組み、これが生化学や代謝を遺伝学的に捉える考え方に影響したと考えられている。

博士論文は、糖の混合液での細菌の成長を扱い、2種類以上の糖が順番に利用されることを記録した。二つの糖で育てた細菌に、成長の段階が二つ現れる現象を指す「ディオーキシー」という語も、彼が作ったものである。ルヴォフの指導を受けて、大腸菌の代謝調節の研究も進めた。第二次世界大戦中にはレジスタンス運動に加わり、フランス国内軍の作戦参謀長を務めたとされる。連合軍の上陸に備えて、パラシュートによる武器の調達や、鉄道爆破、郵便物の検閲を手がけたという。

戦後も大腸菌の研究を続け、1950年代から60年代にかけて、フランソワ・ジャコブとともに、伝令RNAを介した遺伝情報の発現や、フィードバックによる遺伝子の調節を説明するオペロン説を提出した。大腸菌は、乳糖を分解する酵素を必要がないときには作らず、グルコースのような他の糖があるときは無駄にエネルギーを使わない。この調節は、乳糖オペロンの研究から明らかにされた。酵素学の分野でも、ジェフリーズ・ワイマン、ジャン=ピエール・シャンジューとともにアロステリック調節モデルを提出している。1959年にパリ大学に招かれ、1962年にシャルル=レオポール・メイエ賞を受けた。1965年には、ジャコブ、ルヴォフとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1967年にコレージュ・ド・フランスへ移り、1971年にパスツール研究所の所長に任命された。

科学哲学にも関心が深く、優れた音楽家でもあった。1970年の著書『偶然と必然』では、現代生物学に基づく自らの世界観を示し、宗教的、唯物論的なものなど多くの生命観を否定したため、当時の思想界に賛否両論を巻き起こした。1976年5月31日、カンヌで亡くなった。

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