HISTORICAL PERSON · 1976年没

ジュセリーノ・クビチェック

ブラジルの政治家で元大統領。「50年の進歩を5年で」を掲げて当選し、外資導入と工業化を進めた。航空機で国中を回り「ジェット大統領」と呼ばれ、新首都ブラジリアの建設でも知られる。

生涯
1976年没
死亡地
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州 / レゼンデ)
出生地
ブラジル連邦共和国(ディアマンティーナ)
出典
世界地図
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州)

伝記

ジュセリーノ・クビチェック・デ・オリヴェイラは、1902年9月12日にブラジルのミナス・ジェライス州の都市ディアマンティーナで生まれた政治家で、愛称を「JK」という。父は行商人のジョアン・セザル・デ・オリヴェイラ、母は教師のジュリア・クビチェックであった。母方の祖先はチェコからの移民で、チェコ語の姓クビーチェクをドイツ語風のクビチェックに変えたものとされ、民族的にはロマであったと記される。父は幼いころに亡くなり、以後の一家は母の少ない収入だけで暮らした。家は非常に貧しく、8歳のころから商品の配達で働き、初めて自分の靴を手にしたのは12歳のときだったという。

1914年に母の願いでカトリックの神学校に入ったが、聖職を志す気持ちはないと司祭たちに伝えて、15歳のころに学業を終えた。サッカーを好み、アマチュア選手としてアメリカ・ミネイロというクラブでプレーしたともいう。1921年に中等教育の修了試験を終え、翌年にミナス・ジェライス連邦大学へ入って医学を学び、1927年に卒業した。学費は友人からの借金や家宝の宝飾品の売却でまかない、電信の助手として働きながら学んだ。卒業後は泌尿器科を学ぶためパリ、ウィーン、ベルリンを訪れ、1930年10月の帰国後に自分の診療所を開いた。

1934年にミナス・ジェライス州の連邦派遣官ベネディト・ヴァラダレスの秘書室長となり、同じ年に州議会選挙に出馬して政界へ進んだ。1940年にはベロオリゾンテ市長に就任して再選され、1950年からミナス・ジェライス州知事を務めた。1955年には「50年の進歩を5年で」を掲げて大統領選挙に出馬して当選し、航空機でブラジル各地を巡ったことから「ジェット大統領」と呼ばれた。1956年1月31日に就任すると、日本、アメリカ、ドイツなどからの外資導入と工業化を積極的に進め、内陸部の発展を促すため新首都ブラジリアの建設に着手した。建設は任期内の完成をめざして急ピッチで進められ、わずか41か月で完成し、1960年4月21日にリオ・デ・ジャネイロから首都が移された。

一方で、建設のための無理な借款と首都移転にかかる巨額の資金は、のちのブラジル経済に重くのしかかり、1960年代から1980年代にかけてのハイパーインフレーションの一因になったとされる。諸外国での評価は高かったが、強引な手法と経済の混乱のため、ブラジル国内では賛否が大きく分かれた。1960年10月の大統領選挙では後継候補がジャニオ・クアドロスに敗れ、1961年1月に任期を終えた。同年9月には日本政府の賓客として夫人とともに来日している。1964年4月にカステロ・ブランコ将軍らによるクーデターが起こると、10年間の公民権剥奪を命じられ、アメリカとヨーロッパへ亡命した。1967年にブラジルへ戻ったが、1976年8月22日、リオ・デ・ジャネイロ郊外で自動車事故により死去した。2013年12月、真実委員会は死因を軍部による暗殺と発表したが、証拠などの詳細は明らかにされていない。ブラジリアの国際空港と橋には彼の名が付けられ、2001年には雑誌の選出で「20世紀のブラジル人」に選ばれた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物