HISTORICAL PERSON · 190年没

マルクス・アウレリウス・クレアンデル

ローマ帝国の政治家。フリュギア出身の奴隷から皇帝コンモドゥスの侍従長となり、近衛隊長にまで昇った。官職を賄賂で推薦する汚職政治を行ったが、190年の穀物危機の暴動で責任を問われ、皇帝に処刑された。

生涯
190年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
トルコ共和国(フリギア)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

マルクス・アウレリウス・クレアンデルは、ローマ帝国の政治家で、生年は不詳、190年に没した。一般にクレアンデルと呼ばれ、皇帝コンモドゥスの侍従長として立身し、皇帝の信頼を武器に汚職政治を行ったといわれる。一時は近衛隊長の地位にまで上ったが、のちにコンモドゥス帝に処刑された。同時代の歴史家で元老院議員のカッシウス・ディオも彼に言及している。

出自には不明な点が多い。ディオは属州フリギア出身の奴隷であったとだけ記し、幼少期に奴隷商人によって他の奴隷とともにローマの市場へ連れてこられたという。ヘロディアノスによれば、国家のために公売される奴隷のなかにいたとされ、ディオによれば荷物運びの奴隷の一団に入れられて売られたとされる。182年ごろには皇帝の身辺の世話をする使用人として宮殿に出入りしており、愛人の娼婦ダモストラティアが皇帝の妾の一人になると、ほかの使用人よりも皇帝の近くに置かれるようになった。使用人頭ともいうべき侍従長はギリシア系の解放奴隷が務めていたが、その侍従長が暗殺されると、クレアンデルが後任に任じられた。宮殿内の権力闘争では、皇帝の補佐役であった近衛隊長を追い落とす謀議にも加わった。

184年、ブリタニアの動乱に際して軍への懲罰を皇帝に進言したペレンニスに対し、軍の反感が高まり、ブリタニア駐屯軍の兵士が有志を募ってローマで直訴する事件が起きた。かねてペレンニスを疎ましく思っていたコンモドゥスは、これを口実にペレンニスとその子供を処刑した。対立者の失脚で影響力を高めたクレアンデルは、身近な友人として皇帝に進言を行い、賄賂と引き換えに官職へ推薦する汚職政治を行った。一説には執政官の職まで売買の対象になったと伝えられ、官職を求めた者のなかには、のちにセウェルス朝を開く元老院議員セプティミウス・セウェルスもいた。ただし単に私腹を肥やしただけではなく、ある程度は皇帝の意向で動いていたとも考えられる。賄賂は皇帝と分け合い、公共投資の費用などにも使われた。ペレンニスの後任の近衛隊長を失脚させ、自らがその地位に就いて、権威は頂点に達した。

190年6月、穀物危機によって、コンモドゥス帝の治世で初めてとなる暴動がローマで起きた。責任追及を恐れた穀物長官パビリウス・ディオニュシウスは、責任をクレアンデルに押し付けようとした。クレアンデルは本来、食糧問題とは関係のない立場であったが、汚職政治の印象から彼を嫌っていた民衆は、煽動されるままに全責任が彼にあると抗議した。大競技場に集まった暴徒は巫女に先導されながら、クレアンデルの処罰を皇帝に求めて行進した。クレアンデルは近衛兵を動員して弾圧したが、同じく皇帝の側近で、やはり解放奴隷の出身であった首都長官ペルティナクスが、部隊を動員して仲裁に入った。

進退窮まったクレアンデルは皇帝のもとへ助けを求めて逃げ込んだが、皇姉らの説得を受けた皇帝によって処刑された。愛妾マルキアの求めに応じて斬首されたともいわれる。コンモドゥス帝は、あとから追ってきた民衆に首を投げ渡し、民衆は歓喜して皇帝をたたえたという。一説にはその息子も殺されたとされる。後世の作品にも登場し、1964年の映画『ローマ帝国の滅亡』では、不気味な盲目の侍従として描かれ、皇帝アウレリウスを毒殺する人物となっている。日本の青年漫画『ヴィルトゥス』では、おかっぱ頭の若い皇帝の側近として登場する。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物