伝記
ジュリアン・ソレル・ハクスリーは、1887年6月22日に生まれ、1975年2月14日に没したイギリスの進化生物学者であり、ヒューマニスト、国際間協力の推進者でもあった。自然選択説を強力に擁護し、20世紀中盤の総合進化説の形成を主導した。名高いハクスリー一族の出身で、弟に作家のオルダス・ハクスリー、異母弟にノーベル賞受賞者のアンドリュー・ハクスリーがいる。父は作家で編集者のレオナルド・ハクスリー、父方の祖父はダーウィンの友人であり有力な支援者であったトマス・ヘンリー・ハクスリー、母方の祖父は人文学者のトム・アーノルドである。
生まれたのは叔母の小説家マリー・オーガスタ・ウォードの家で、イングランドのサリーで祖父の薫陶を受けて育ち、幼い頃から自然への興味を示した。13歳で奨学生としてイートン校に入り、科学教師W・D・ヒルの指導のもとで鳥類への関心を強めた。1905年にオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学し、1908年の秋には母を46歳の若さで癌により亡くしている。1909年に大学を首席で卒業し、ケンブリッジ大学で開かれたダーウィン生誕100周年の記念国際会議にも参加した。
卒業後は奨学金でナポリの海洋生物研究所に1年間滞在し、ウニやホヤの研究を通じて発生学を学んだ。1910年にオックスフォード大学の助手となり、アカアシシギやカイツブリなどのミズドリの求愛行動を系統的に観察した。1914年のカンムリカイツブリに関する論文は、鳥類の行動学における画期的な業績となった。1912年にはテキサス州ヒューストンに開設されたライス研究所の生物学部の指導を依頼され、ハーマン・J・マラーを招いている。1913年には恋愛関係の破綻から心を病んで療養所に通ったとされ、鬱病はハクスリー家を悩ませ続けた。
第一次世界大戦が始まると、1916年9月にイングランドへ戻り、軍の情報部で働いた。戦後はオックスフォードのニュー・カレッジの研究員となり、1919年にジュリエット・バイヨーと結婚した。1925年にキングス・カレッジ・ロンドンの動物学教授となったが、1927年に教授職を辞し、H・G・ウェルズ親子とともに『サイエンス・オブ・ライフ』シリーズの執筆に取り組んだ。1929年には東アフリカを訪れ、セレンゲティ平原の野生動物がほとんど手つかずで残っていることを発見し、この経験は『アフリカの眺め』にまとめられた。
1935年にロンドン動物学会の事務局長に就き、動物園を子どもに親しみやすくする改革を進めたが、会員の特権を制限したことなどで反発も招いた。1938年には王立協会フェローに選ばれた。1941年のアメリカ講演旅行中に理事会との対立が深まり、事務局長のポストは1942年までで終わった。1946年にはユネスコの初代事務局長に就任したが、任期は憲章の6年から、アメリカ代表団の圧力で2年に短縮された。科学的ヒューマニズムの立場や産児制限の考えは、内外に反対者を生んだ。また世界野生生物基金、現在の世界自然保護基金の設立にも関わり、書籍やラジオ、テレビを通じた科学啓蒙でも広く知られていた。
同じ年に亡くなった人物
- ウィリアム・ハートネル (1975年没)
- Sheila Ryan (1975年没)
- モー・ハワード (1975年没)
- ウラジーミル・クーツ (1975年没)
- Andres Mazali (1975年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジョン・ダン (1631年没)
- アンソニー・コリンズ (1729年没)
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