HISTORICAL PERSON · 1975年没

ジョージ・パジェット・トムソン

イギリスの物理学者。電子の波動性の証明により、1937年にノーベル物理学賞を受賞した。父のジョゼフ・ジョン・トムソンもノーベル賞受賞者。

生涯
1975年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
イギリス連邦(ケンブリッジ)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

ジョージ・パジェット・トムソンは、1892年5月3日にイギリスのケンブリッジで生まれ、1975年9月10日に同地で没した物理学者である。1937年、電子の波動性を実験で示した功績によってノーベル物理学賞を受けた。父は、やはりノーベル賞を受けたジョゼフ・ジョン・トムソンであり、母はローズ・エリザベス・パジェットである。

パース・スクールを経てケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに進み、数学と物理学を学んで、1913年に卒業した。その後はキャヴェンディッシュ研究所で父のもとで研究を始めたが、翌年に第一次世界大戦が始まり、クイーンズ・ロイヤル・ウェスト・サリー連隊に任官した。フランスでの短い勤務ののち、翌年に王立航空隊へ移り、ファンボローの王立航空機研究所などで空気力学の研究にあたった。大尉の任官を辞したのは1920年である。

戦争が終わると、父の後を追うように物理学者の道を歩んだ。1919年にケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジのフェロー兼講師となり、1922年にはスコットランドのアバディーン大学で自然哲学の教授に任命された。研究の中心になったのは電子の性質である。ルイ・ド・ブロイは物質が波の性質を持つとする理論を唱えており、トムソンはこれを受けて、1927年に金属の多結晶に電子線を当て、回折や干渉の現象を示すことで電子の波動性を証明した。薄い金属膜にはアルミニウム、金、白金などが用いられ、観察された回折像の大きさは、ド・ブロイの理論による予測値と5パーセント以内で一致したという。この発見は、粒子と波の二重性を支える新たな証拠となった。1937年、同じ発見を独立に成し遂げたアメリカの物理学者クリントン・デイヴィソンとともにノーベル賞を受けた。父が粒子としての電子を発見し、息子が電子に波の性質があることを示したことになる。

1929年にはアメリカのコーネル大学で非常勤の講師を務め、1930年にはインペリアル・カレッジ・ロンドンの教授となった。同じ1930年には王立協会のフェローにも選ばれている。1930年代の終わりから第二次世界大戦中は原子核物理の研究に取り組み、軍事への実用面に力を注いだ。1940年から1941年にはモード委員会の議長として、原子爆弾が実現可能だとする結論に関わった。その後は、空気力学や、社会における科学の役割についての著述も行った。受けた賞には、ヒューズ・メダル(1939年)、ベーカリアン・メダル(1948年)、ロイヤル・メダル(1949年)、ファラデー・メダル(1960年)などがある。

1924年にアバディーン大学の学長ジョージ・アダム・スミスの娘キャスリーンと結婚し、2男2女をもうけたが、キャスリーンは1941年に亡くなった。1952年から1962年までコーパス・クリスティ・カレッジの学寮長を務め、1964年にはその功績をたたえて、同カレッジのレッキンハンプス・キャンパスにジョージ・トムソン棟が建てられた。1959年から1960年には英国科学振興協会の会長も務めている。1975年9月10日にケンブリッジで83歳で没し、ケンブリッジ南郊グランチェスターの教区教会墓地に葬られた。

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