HISTORICAL PERSON · 1947年没

フレデリック・ホプキンズ

イギリスの生化学者。1901年にトリプトファンを発見し、ビタミン発見の業績により1929年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯
1947年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
イギリス連邦(イーストボーン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

フレデリック・ガウランド・ホプキンズは1861年、イングランドのサセックス州イーストボーンに生まれた。生年月日は資料中に6月20日と30日の両方が記されている。ロンドンの学校などで学んだ後、ガイズ病院の医学部に進み、1890年にロンドン大学から理学士号、1894年に医学の学位を得た。卒業後はガイズ病院で生理学と毒物学を教えた。1898年、生理学会の会合でマイケル・フォスターからケンブリッジ大学の研究室に招かれ、生理現象の化学的な側面を調べることになった。当時、生化学は独立した学問分野として確立していなかった。ケンブリッジでは化学生理学を教え、1910年にはトリニティ・カレッジの講師と研究員になった。

ホプキンズは細胞が酸化と還元を通じてエネルギーを得る過程を研究した。1901年にはアミノ酸の一種であるトリプトファンを発見した。1907年にはウォルター・フレッチャーと筋肉の収縮と乳酸の関係を調べ、酸素が不足すると筋肉に乳酸が蓄積することを示した。この成果は、細胞内の生化学を明らかにする研究の一つとなった。1914年、ケンブリッジ大学の生化学教授に選ばれ、同大学で最初の生化学教授となった。教え子には神経化学の研究を開いたジュダ・クアステルや、発生学者のジョセフ・ニーダムがいた。研究を進める一方、王立協会の会員にも選ばれた。

ホプキンズの代表的な研究は、食物に含まれる微量成分の役割を示したことである。1912年、純粋なたんぱく質、炭水化物、脂肪、ミネラル、水だけで作った餌では動物が成長を保てないことを、動物を使った摂食実験で示した。通常の食事には、成長や生存に欠かせない未知の物質が微量に含まれると考え、これを「補助的な食品因子」と呼んだ。後にビタミンと名付けられた物質をめぐるこの研究が、クリスティアーン・エイクマンとの共同受賞につながり、1929年に二人はノーベル生理学・医学賞を受けた。第一次世界大戦中も栄養とビタミンの研究を続け、マーガリンはバターより栄養価が低く、ビタミンAとDを含まないことを確かめた。その後、ビタミンを加えたマーガリンが1926年に導入された。

1921年には動物の組織から得られるグルタチオンを発見し、その性質を調べた。初めは二つのアミノ酸からなる物質と考えたが、構造をめぐる議論を経て、1929年にはグルタミン酸、システイン、グリシンからなる三つの単位の化合物と結論した。ホプキンズは1918年に王立協会のロイヤル・メダル、1922年にエディンバラ大学の治療学賞、1926年にコプリ・メダルを受け、1925年にはナイト爵、1935年にはメリット勲章を授与された。1924年には米国の国立科学アカデミーの外国人準会員に選ばれ、1937年には米国哲学協会の会員となった。1930年から1935年まで王立協会会長を務め、1933年には英国科学振興協会の会長に就いた。ケンブリッジ大学の教授職は1943年まで続いた。1898年にジェシー・アンナ・スティーブンズと結婚し、一男二女をもうけた。娘ジャケッタは考古学者となった。ホプキンズは1947年5月16日、ケンブリッジで死去した。

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