伝記
パウサニアスは、ローマ帝国期ギリシアの旅行家で地理学者、歴史家である。生年は115年ごろとも110年ごろともされ、180年ごろに没した。『ギリシア案内記』の著者として知られ、この著作は当時のギリシアの地誌や歴史、神話伝承、モニュメントなどを知る手がかりとなっている。これが唯一知られる著作で、宗教的慣習、神話、民間文化、政治史といった古代ギリシアの多様な面を知る貴重な資料と見なされ、考古学調査の案内にも使われてきた。
生涯については、『ギリシア案内記』の記述からおおまかに推測されるだけで、はっきりしたことは分かっていない。小アジアのリュディア地方について詳しく述べている部分があることから、この地方の出身とする説が有力で、当時のリュディアはローマ帝国のアシア属州に属していた。シピュロス山麓のマグネシアの出身だろうとする見方もあり、近くのスミュルナが精神的な故郷だったのではないかとも言われる。ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの各皇帝と同時代に生きた。ギリシアに来る前にはアンティオキアやヤッファ、エルサレム、ヨルダン川のほとりを訪れ、死海に最初に名を与えた人物とされる。エジプトではピラミッドを見て、イタリアではカンパニア地方の諸都市とローマを訪れている。ギリシア以外にもリビュアなどへ足をのばした。同時代には、アイリアノスの師でカッパドキアのカイサレイア出身の第二次ソフィストにも同名の人物がおり、かつては同一視されていた。
『ギリシア案内記』は、各地で直接見聞してまとめた全10巻の旅行記である。「案内記」は伝統的な文学ジャンルで、前3世紀の案内記が断片のみ現存している。各巻は、アッティカとメガラ、コリントスとアルゴス、スパルタ、メッセニア、エリスとオリュンピア、アカイア、アルカディア、ボイオティア、ポキスとデルポイと、ローマのアカイア属州にほぼ対応する地域を扱う。成立は、ヘロデス・アッティコスの音楽堂の記述などから、160年から176年ごろと推定されている。170年ごろのコストボキ族のギリシア侵入や、173年にあたる年への言及も、年代の手がかりとされる。
ただ、この書は単なる地形の記録ではなく、文化地誌である。建築や美術を記すだけでなく、それを生んだ社会の神話的・歴史的な背景まで検討している。オリュンピアやデルポイの神域については、競技祭の施設や優勝者の彫像を、逸話を交えて描写し、神域の宗教儀礼も丁寧に記す。本書によってのみ伝わる神話伝承もある。古いものを新しいものより、聖なるものを世俗のものより好み、古典期の美術や神殿、祭壇、神像に多くを割く一方、アテナイのアタロスの柱廊などは触れていない。自らの無知を率直に認め、他人の本からの引用は、そのことを断ったという。
同時代の評価はきわめて限られ、ほぼ後世の書き手にしか利用されなかったと考えられている。現存する写本は誤りや欠落の多い3つの写本だけで、いずれも1点の写本に由来するらしい。その原本は1418年ごろ、フィレンツェでニッコリが所持していた。近代以降は、宗教学、神話学、歴史学、考古学、美術史学などで注目された。シュリーマンはホメロスとパウサニアスの記述を参照してミケーネの発掘に臨み、フレイザーは訳注を刊行した。パルテノン神殿にあったアテナ像などの美術品も、本書のおかげで復元できる。
同じ年に亡くなった人物
- ガイウス (法学者) (180年)
- アウルス・ゲッリウス (180年)
- サルディスのメリトン (180年)
- オッピアノス (180年)
- ヘゲシッポス (180年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエトロ2世 (シチリア王) (1342年没)
- イドリースィー (1165年没)
- エウフェミオス (830年没)