伝記
アウルス・ゲッリウスは、古代ローマの白銀期の著作家、文法学者である。125年頃に生まれ、180年以降に亡くなったとされ、ゲリウスとも表記される。生涯について知られることは、自身の著作に記された事柄に限られる。内部の証拠から、生まれたのは125年から128年のあいだとされる。家系はおそらくアフリカの出で、良家で縁故にも恵まれ、おそらくローマで生まれ、確実にローマで育った。
ローマでは文法学と修辞学を学び、修辞学ではティトゥス・カストリキウスとスルピキウス・アポリナリスに師事した。その後アテナイに渡って哲学を学び、カルウィシウス・タウルスとペレグリノス・プロテウスに教えを受けた。147年にはピュティア競技祭に出席し、アテナイにかなり長く住んだ。ファウォリヌス、ヘロデス・アッティコス、フロントといった著名人とも友情を結び、教えを受けたという。ローマに戻ると司法にかかわる職に就き、法務官から民事訴訟の裁定者に任じられた。文筆に充てたかった時間の多くを、この裁判の務めに取られたとされる。
唯一の作品が『アッティカの夜』である。題名は、アッティカで過ごした冬の長い夜に書き始めたことに由来し、執筆はローマに戻ってからも続いた。会話で耳にしたことや書物で読んだことのうち、珍しく興味深いものを書き留めた覚え書きの帳面をもとに編まれ、文法、幾何学、哲学、歴史など、多岐にわたる話題を収めている。意図的に連なりも配列も欠いた全20巻の書で、第8巻は目次のみが残り、ほかはすべて現存する。内部の証拠から、公刊は177年以降と推定されている。アンドロクレスの話はしばしばアイソーポス(イソップ)の寓話集に含まれるが、もとはこの書にあったものだという。
この書は、当時の社会の気質や気晴らしを知る手がかりとして、また失われた古代の著作家たちの作品の抜粋を数多く含む点で価値がある。古代にも多くの読者を得て、アプレイウス、ラクタンティウス、ノニウス・マルケルス、アンミアヌス・マルケリヌス、『ローマ皇帝群像』の無名の著者、セルウィウス、アウグスティヌスらが利用した。とりわけマクロビウスは、名を挙げないまま『サトゥルナリア』にゲッリウスの文章をそのまま引用している。
写本では著者名が「アゲッリウス」と記されることも多く、プリスキアヌスはこの形を用い、ラクタンティウスやセルウィウス、アウグスティヌスは「A・ゲッリウス」としていた。ルネサンス期以降どちらが正しいか激しく論じられたが、現代では後者に落ち着いている。初版は1469年にローマで刊行され、最初の校訂版は1585年に出た。ヨハン・フリードリヒ・グロノウィウスは生涯をこの書に捧げたが、1671年に没して完成できず、息子ヤコブが1706年にライデンで改訂版を出した。この版は百年以上も標準の本文であり続け、のちに1883年から85年にかけてマルティン・ヘルツの校訂版が出た。ピーター・K・マーシャルの校訂版(1968年、1990年に訂正版)も、印刷物と無料公開の電子版の両方で広く使われているようである。1888年にはノールによる注と語彙つきの抜粋本が出た。英訳は1795年のW・ベロー訳、1927年のジョン・カルー・ロルフ訳(ローブ古典叢書)などがあり、1896年にはフランス語訳も出た。日本語訳は大西英文訳『アッティカの夜 1』(京都大学学術出版会)がある。
同じ年に亡くなった人物
- オッピアノス (180年)
- ガイウス (法学者) (180年)
- サルディスのメリトン (180年)
- ヘゲシッポス (180年没)
- ルキアノス (180年)
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