伝記
レオ・シュトラウスは1899年、ドイツのマールブルク近郊に生まれた。ユダヤ系で、シオニストでもあった。エルンスト・カッシーラーに師事し、1922年に博士号を取得した。その後、エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーのもとでも学んだ。1932年から1934年にかけて奨学生としてパリとケンブリッジに滞在したが、ナチスによる迫害を逃れて1938年にアメリカへ移住した。コロンビア大学の研究員を経て、ニュースクール大学で政治学を講じ、1944年に米国籍を得た。1949年にシカゴ大学に招かれ、以後二十年間にわたって政治哲学を教え、研究した。
シュトラウスは古代ギリシャから近代に至る政治思想を読み直し、独自の政治哲学を展開した。講義ではプラトンをはじめ、マキャベリやニーチェらの著作を取り上げた。ハイデッガーの哲学に加え、タルムード、イスラム哲学、スピノザなどからも論点を得た。1930年にはスピノザの宗教批判、1932年にはカール・シュミットの『政治的なものの概念』への論評、1935年にはマイモニデスと法、1936年にはホッブズの政治学を論じる著作を公刊した。アリストテレスの影響から、カール・ポパーと同じくプラトンの国家論に断固反対した一方で、プラトンは認識論として読むべきだと説いた。プラトンが共同体を統合するために宗教や外部の脅威を用いる「高貴な嘘」を語ったと解釈したことでも知られる。著作には『自然権と歴史』や『政治哲学とは何か』があり、政治哲学者として広く読まれた。
シュトラウスはマルクス主義とナチズムを残酷なニヒリズムとして退け、それらの台頭を許したワイマール共和国も批判した。また、マックス・ウェーバーらの「事実」と「価値」を分ける考え方に疑問を呈した。彼の講義や著作から影響を受けた人々は「シュトラウス学派」と呼ばれるようになり、門下生にはアラン・ブルームやソール・ベローがいた。シュトラウスの思想が米国の新保守主義やブッシュ政権に影響したと見る説がある一方、フランシス・フクヤマらはその見方を否定している。フクヤマは、イラク戦争を進めたブッシュ政権内に学派の人物がいなかったことを理由に挙げた。フクヤマ自身もシュトラウスに影響を受けた一人だが、影響を受けた人とシュトラウス派は区別されることも多い。また、古典的な自然法を奉じるシュトラウスと、人為的な世界観を持つ新保守主義者とでは矛盾するという指摘もある。
1941年にはドイツのニヒリズムについて講演し、1945年にはファーラービーのプラトン論、1946年にはプラトン政治哲学の新解釈を論じる論文を発表し、翌年にはルソーの意図を扱う論文を書いた。1948年にはクセノポンの僭主論を扱う著作を刊行し、1952年には迫害と文章執筆の関係を論じる研究を発表した。『自然権と歴史』は1949年の講義に基づいて1953年に出版され、代表的著作の一つとされる。僭主論の著作は1954年に仏訳され、1963年には改訂増補版が刊行された。スピノザの宗教批判を扱った著作も1965年に英訳再刊された。1973年10月18日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- アンリ・シャリエール (1973年没)
- Maggie Laubser (1973年没)
- ホセ・ビジャロンガ (1973年没)
- モニカ・エルトル (1973年没)
- クルト・トーマス (1973年没)
同じ地域に関係する人物
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- ロバート・ギャレット (1961年没)
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- ウィリアム・コルビー (1996年没)