伝記
ドメニコ・ギルランダイオは、1448年6月2日にフィレンツェで生まれ、1494年1月11日に世を去ったルネサンス期の画家である。本名はドメニコ・ディ・トンマーゾ・クッラーディ・ディ・ドッフォ・ビゴルディといい、「ギルランダイオ」は「花飾りのドメニコ」を意味する通称である。彫金家だった父トンマーゾが、当時フィレンツェの若い女性のあいだで流行した花の髪飾りを作ることに長けていたためとされ、ヴァザーリは金属製の花冠をその由来として伝えるが、その考案者が誰かははっきりしない。
父は当時、絹や関連品を小口で商う店にもかかわっていたとされ、ドメニコは前妻アントニアとの子5人の長男だった。乳幼児期を生き延びたのは、のちに工房の協力者となる弟ダヴィデとベネデットだけだという。父は息子も彫金家になることを望み、初めは家業の見習いをしたらしい。しかしヴァザーリによれば、若いドメニコはその仕事に興味が薄く、道行く人々の似顔を描くことに時間を使い、父はついに画家の道を認めた。修業時代の事情はよくわからず、画家アレッソ・バルドヴィネッティに師事したという説や、ヴェロッキオの工房で学んだとする説もあるが、絵画の師は不明ともされる。1472年に画家の同業組合サン・ルカ組合に登録し、修業の終わりが確認できる。
初期の独立した仕事は、フィレンツェ近郊の教会にあり、1471年から1472年ごろのチェルチーナ小教区教会のフレスコ画が最初の目立つ作品とされる。1480年ごろからは市の上流社会の肖像画家として頼られ、その明快で見分けやすい作風は評判になった。作品は宗教画が主だが、画面には当時のフィレンツェの実在の人物や日常が描き込まれ、宗教的な厳粛さよりも世俗性が勝っている。1480年にオーニッサンティ教会に『最後の晩餐』、1482年にサン・マルコ修道院にも『最後の晩餐』を描き、1481年から1482年にはローマのシスティーナ礼拝堂の側壁画に、ボッティチェッリ、シニョレッリ、ペルジーノらとともに参加して『聖ペテロと聖アンデレの召命』を手がけた。1483年から1485年にはサンタ・トリニタ教会に『聖フランチェスコの生涯』を描いている。
代表作は、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の内陣を飾るマリア伝と洗礼者ヨハネ伝の壁画群(1485年から1490年)で、『マリアの誕生』が最もよく知られる。注文主は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの叔父にあたる当時の有力者で、トルナブオーニ家の人物であり、主題より目立つ画面中央付近に、その家の5人の女性が描かれている。世俗の人物を描き入れたのは、注文主の強い意向によるものだろうと考えられている。ほかに『ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像』(1488年)、1487年の『東方三博士の礼拝』(ウフィッツィ美術館所蔵)、1490年ごろから描かれた『トルナブオーニの祭壇画』などがある。若い時期の作には、1473年の『イエスの洗礼』や、1478年ごろの『男性の肖像』もある。
大きな工房を率い、そこで少年のころのミケランジェロが最初に師事したことでも知られる。弟ダヴィデやベネデット、義弟の画家セバスティアーノ・マイナルディも工房で働き、息子のリドルフォも画家となった。1491年より後の確実な作品は知られない。
同じ年に亡くなった人物
- ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ (1494年没)
- フェルディナンド1世 (ナポリ王) (1494年没)
- イザベル・デコス (1494年没)
- ピコ・デラ・ミランドラ (1494年没)
- ボニファーチョ3世 (モンフェッラート侯) (1494年)
同じ地域に関係する人物
- バルトロメオ・クリストフォリ (1731年没)
- ルイーゼ・ツー・シュトルベルク=ゲーデルン (1824年没)
- Mario Luzi (2005年没)
- ジェイソン・デュパスキエ (2021年没)
- アレッソ・バルドヴィネッティ (1499年没)