伝記
ウェンデル・メレディス・スタンリーは、1904年8月16日にアメリカのインディアナ州リッジヴィルで生まれた生化学者・ウイルス学者である。初めてウイルスを結晶化したことで知られ、1946年にノーベル化学賞を受賞した。インディアナ州リッチモンドのアーラム・カレッジで化学の学士号を取得し、イリノイ大学で1927年に修士号を、1929年に化学の博士号を得た。博士号を得た1929年にマリアン・ステープルズと結婚し、三人の娘と一人の息子をもうけた。
米国学術研究会議の研究員として、ミュンヘンのハインリヒ・ヴィーラントのもとで一時期を過ごし、1931年にアメリカに戻った。帰国するとロックフェラー医学研究所の助手として採用され、1948年までこの研究所に残り、1937年に準会員、1940年に正会員になった。初期の研究には、ハンセン病に効く化合物の研究や、ビフェニルの立体化学、ステロールの化学がある。しかし最も重要な仕事は、タバコモザイクウイルスの研究である。1935年に、このウイルスの粒子から結晶をつくり出すことに成功した。この発見は大きく報道され、1935年6月28日付のニューヨーク・タイムズ紙の第1面にも載った。ウイルスのような生き物に近いものが結晶になることに、当時の人々は驚いたのである。この結果から、ウイルスはタンパク質と核酸のみからできていることが判明した。数グラムのウイルスを得るのに、タバコの葉は数トンも必要だったといわれる。ただ、ノーベル賞の対象となった研究で示した結論の多くは、まもなく誤りだと示された。たとえば、単離した結晶が純粋なタンパク質で、自己触媒によって組み上がるとした点がそうである。
1948年にカリフォルニア大学バークレー校の生化学の教授となり、ウイルス研究所と独立した生化学部の建物をつくり、1958年には生化学部の部長となった。この建物はのちにスタンリー・ホールと呼ばれた。1940年にアメリカ哲学協会、1941年に国立科学アカデミーの会員に選ばれ、1946年のノーベル化学賞では、四分の一の持ち分を受けた。1949年にはアメリカ芸術科学アカデミーの会員となった。1936年のニューカム・クリーブランド賞、1947年のウィラード・ギブズ賞、1948年のフランクリン・メダルなど多くの賞を受け、ハーバード大学やイェール大学、プリンストン大学、パリ大学から名誉学位を贈られた。1971年6月15日、スペインのサラマンカで亡くなった。
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