HISTORICAL PERSON · 1969年没

ソニア・ヘニー

ノルウェーのフィギュアスケート選手で、のち女優。オリンピック3連覇と世界選手権10連覇を果たし、1976年に世界フィギュアスケート殿堂入りした。

生涯
1969年没
死亡地
ノルウェー王国(オスロ)
出生地
ノルウェー王国(オスロ)
出典
世界地図
ノルウェー王国(オスロ)

伝記

ソニア・ヘニーは、1912年4月8日にノルウェーのクリスチャニア(現在のオスロ)で生まれたフィギュアスケート選手で、のちに女優となった。オリンピックで3連覇(1928年、1932年、1936年)、世界選手権で10連覇(1927年から1936年)、欧州選手権で6連覇(1931年から1936年)を果たした。裕福な毛皮商人の家庭に生まれた一人娘で、父ヴィルヘルムは、かつて自転車競技で世界王者になったこともある人物だった。子供たちは幼い頃から様々なスポーツを奨励され、彼女は最初スキーで才能を示し、5歳上の兄に続いてフィギュアスケートを始めた。5歳で初めてスケートの大会に優勝したとされる。少女時代には、全国ランキングに入るテニス選手でもあり、水泳や乗馬にも秀でていた。

父は娘の才能を信じて、著名なコーチに師事させ、11歳で学校をやめさせて、スイスにスケート留学させた。ロシアの名バレリーナ、タマラ・カルサヴィナらにも指導を受けさせ、娘を競技の有名人に育て上げようとした。ヘニーは1924年の冬季オリンピックに11歳で出場し、8人中8位となった。1927年には14歳で世界選手権を制し、前年の五輪王者でもあったオーストリアのシャボに、5人の審査員のうち3人対2人で勝ったが、この結果は、第1位を付けた3人がノルウェー人だったことから、論争を呼んだ。翌1928年、15歳10か月でサンモリッツ・オリンピックに優勝し、これは1998年にアメリカのタラ・リピンスキーに更新されるまで、冬季オリンピックのフィギュアスケートの最年少優勝記録だった。1932年にも優勝した。

1936年のガルミッシュ=パルテンキルヒェン・オリンピックで3連覇を達成した。英国のセシリア・コレッジが僅差の2位で、規定種目の結果が貼り出された時には、ヘニーは怒ってその紙を引きちぎったとされる。自由演技の滑走順で、ヘニーが最後、コレッジが26人中の2番目になったことにも疑惑が向けられた。冬季オリンピックで3連覇を果たしたのは、彼女を含めて7人しかいない。人気は絶大で、プラハやニューヨークでは、群衆を整理するために警察が呼ばれたという。1936年に引退してハリウッドへ移住し、父が制作したアイスショーを新聞王ハーストの愛人らに売り込むなどして成功を収め、20世紀フォックスと契約した。アイスショーと映画の成功により、世界で最も裕福な女性の一人とされ、『銀盤の女王』(1936年)、『氷上乱舞』(1937年)などに出演した。1940年に、のちにニューヨーク・ヤンキースのオーナーとなる富豪と結婚したが、1946年に離婚した。

一方、戦後の1946年に、アメリカ軍に同行して一時帰国した際には、歓迎されなかった。ヒトラーとの写真やナチス式敬礼の写真があり、ドイツのノルウェー侵攻後も、ナチ幹部とのつながりを保ち、生家の敷地が接収されるのを免れたことが問題視され、多くの国民から「裏切者」と見なされたのである。彼女は、ナチスが何かを知らなかったと弁解した。1948年にアメリカの市民権を得て、1949年にウィンスロップ・ガーディナーと再婚した。1953年にオスロで公演を行い、前夜は恐怖で倒れ込むほどだったが、観衆は温かく迎えた。1956年に興行を引退し、海運業者ニルス・オンスターと再婚して、オスロ近郊にヘニー・オンスター・アートセンターを建設した。1969年10月12日、パリからオスロへ向かう機中で、白血病のため死去した。

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