伝記
ジョン・コルトレーンは、1926年9月23日にアメリカ合衆国のノースカロライナ州で生まれ、1967年7月17日に没したサクソフォーン奏者である。モダンジャズを代表する一人で、愛称は「トレーン」。第一線で活躍した期間は10年余りだったが、自分の音楽に満足せず、絶えず前進を続けて、二十世紀の「ジャズの巨人」の一人となった。主にテナー・サックスを演奏したが、初期にはアルト・サックス、1960年代からはソプラノ・サックス、最晩年にはフルートも吹いた。
13歳でクラリネットを始め、のちにアルト・サックスに転向して、1946年からプロとして活動を始めた。1949年にディジー・ガレスピーのバンドに加わり、その後テナー・サックスに転向した。ほとんど無名のままいくつかのバンドを転々とし、録音の機会にも恵まれず、この時期の録音はごくわずかしか残っていない。1955年にマイルス・デイヴィスのグループに入ると、大スターのバンドに抜擢されたことで名前が知られ、録音の機会も増えたが、この時期の演奏は決して評判がよくなかった。1957年に一旦マイルスのバンドを退き、セロニアス・モンクのバンドに加わって、モンクから楽理の知識を授かり、音楽的な修業に打ち込んだ。同じ時期に麻薬中毒も克服した。同年5月に最初のリーダー・アルバム『コルトレーン』を吹き込み、7月にニューヨークのファイブ・スポットにモンクのバンドの一員として出演した。この月に「神の啓示」を得たと語っている。それまでの録音がどこか不安定でぎこちなかったのに対し、この月以降の録音は、どれも自信に満ちたものに変わった。9月には、初期の代表作『ブルー・トレイン』を吹き込んだ。
1958年にマイルスのバンドへ再加入した。音楽評論家のアイラ・ギトラーは、音を敷きつめたようなその演奏を「シーツ・オブ・サウンド」と形容し、これが初期の奏法の代名詞となった。当時のソロは長く、常に強い音量で速いパッセージを吹き続けたため、怒っているように聞こえるとして、「怒れる若きテナーマン」と揶揄されることもあった。1959年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』の録音に参加し、アトランティック・レコードに移って、中期の代表作『ジャイアント・ステップス』を録音した。1960年春にマイルスのバンドを離れ、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズらと自分のバンドを結成した。『マイ・フェイヴァリット・シングス』のタイトル曲は最初のヒット曲となり、ソプラノ・サックスの魅力が広く知られるきっかけにもなった。1961年にインパルス・レコードに移った。
1962年からは、タイナー、ジミー・ギャリソン、ジョーンズによるほぼ固定された四重奏団で、バンド全体が一体となる演奏を確立し、コンサートでは1曲が30分から1時間に及ぶこともあった。一方でスタジオ録音では、デューク・エリントンとの共演や、『バラード』、ジョニー・ハートマンとの共演盤などにも取り組んだ。1964年末に『至上の愛』を録音し、1965年6月の『アセンション』で初めてフリー・ジャズに取り組んだ。指導的な立場にあった人物がフリー・ジャズを支持したことは、保守的なジャズ・ファンに大きな衝撃を与えた。1965年にアリスと結婚し、同年12月にタイナーがバンドを離れてアリスが加わった。1966年7月に来日して9都市で公演し、記者会見で「10年後にどんな人間でありたいか」と問われて、「私は聖者になりたい」と答えたという。1967年5月7日にボルチモアで最後のコンサートを行い、同年7月17日に肝臓癌で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ジェーン・マンスフィールド (1967年没)
- クリフトン・ウィリアムズ (宇宙飛行士) (1967年没)
- ケネス・ハーラン (1967年没)
- 田耕莘 (1967年没)
- ジョージ・S・ロバートソン (1967年没)
同じ地域に関係する人物
- メアリー・パットナム=ジャコビ (1906年没)
- デイヴィッド・リースマン (2002年没)
- ポール・カステラーノ (1985年没)
- George Baird (2004年没)
- マーガレット・ウッドブリッジ (1995年没)