伝記
リヒャルト・クーンは、1900年12月3日にウィーンで生まれたオーストリア、ドイツの生化学者で、1938年にノーベル化学賞を受けた。ウィーンで育ち、公立の中学校と高校に通った。化学には早くから関心を示したが、興味は幅広く、化学を学ぶことを決めたのは遅かった。1910年から1918年まで、のちにノーベル物理学賞を受けるヴォルフガング・パウリと同じ学校に通っていた。1918年にウィーン大学で化学の講義に出るようになり、ミュンヘン大学で学業を終えて、1922年にリヒャルト・ヴィルシュテッターのもとで、酵素の特異性に関する研究により博士号を得た。
卒業後は、1925年からミュンヘンで、1926年から1929年までチューリッヒ工科大学で研究を続け、1929年からハイデルベルク大学に属して、1937年には化学科の学科長になった。1928年にデイジー・ハルトマンと結婚し、2人の息子と4人の娘をもうけた。1929年には、新設されたカイザー・ヴィルヘルム医学研究所の化学部門の責任者となり、1937年にはこの研究所の運営も引き受けた。この研究所は、1950年にマックス・プランク医学研究所と改称された。ハイデルベルク大学では生化学の教授も務め、1年間はアメリカのペンシルベニア大学で生理化学の客員研究教授を務めている。
研究分野は、有機化学の理論的な問題である脂肪族と芳香族化合物の立体化学、ポリエンやクムレンの合成、構造と色の関係のほか、生化学の広い領域に及んだ。カロテノイド、フラビン、ビタミン、酵素の研究をして、とくにビタミンB2と皮膚炎を防ぐビタミンB6について重要な成果を挙げた。初めてビタミンBを分離したともされる。こうしたカロテノイドとビタミンの研究により、1938年にノーベル化学賞に選ばれたが、ヒトラーがドイツ国民に賞の受け取りを禁じていたため、辞退した。自筆の手紙では、ドイツ人への授賞を、総統の命令に背くことへの誘いだと述べたほどであった。賞を受け取ったのは、第二次世界大戦が終わってからである。1944年には、猛毒の神経ガスであるソマンを発見したとされる。1948年からは学術誌『ユストゥス・リービヒス化学年報』の編集者を務めた。1937年にコテニウス・メダル、1942年にゲーテ賞、1944年にエミール・フォン・ベーリング賞、1952年にヴィルヘルム・エクスナー・メダル、1958年にパウル・エールリヒ=ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受けている。
彼は1964年から1965年にかけてドイツ化学会の会長も務めたが、ナチス時代の行動については厳しい評価がある。高位のナチス官僚と協力し、1936年にはユダヤ人の同僚3人を告発したとされる。2005年に、ドイツ化学会は、彼の名を冠したリヒャルト・クーン・メダルの授与をやめる意向を示した。ナチス時代の行動の研究を踏まえ、彼がナチ体制を管理や組織の面で、とくに科学的な業績によって支えたことは疑いなく、毒ガスの研究やユダヤ人の同僚への振る舞いを理由に、手本とするにはふさわしくないとしたのである。1967年にハイデルベルクで死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ルネ・マグリット (1967年没)
- エットーレ・バスティアニーニ (1967年没)
- ジャック・ルビー (1967年没)
- エクトル・スカローネ (1967年没)
- マヌエル・プラド・イ・ウガルテチェ (1967年没)
同じ地域に関係する人物
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- マルガレーテ・シュタイフ (1909年没)
- クルト・ゲオルク・キージンガー (1988年没)
- マリー・アントニエッテ・ミュラ (1847年没)
- ヨハン・ペーター・ヘーベル (1826年没)