伝記
ジュディ・ホリデイは、1921年6月21日にニューヨークで生まれ、1965年6月7日に43歳で没したアメリカ合衆国の女優である。本名はジュディス・トゥヴィムといい、舞台と映画、歌で活躍した。映画『ボーン・イエスタデイ』でアカデミー主演女優賞を受けた。
父エイブと母ヘレン(旧姓ゴロム)の一人娘で、両親はロシア系ユダヤ人の出身であった。父はアメリカ・ユダヤ民族基金の財団の理事を務めた人物で、1919年から1938年の間に六度、社会党の候補としてニューヨーク州議会の選挙に立って落選した政治活動家でもあった。母はピアノを教えていた。クイーンズのサニーサイドで育ち、マンハッタンの高校を卒業した。本名のトゥヴィムは、ヘブライ語で「休日(ホリデー)」を意味する言葉に由来し、芸名のホリデイはこれにちなむ。高校を出て最初についた職は、オーソン・ウェルズとジョン・ハウスマンが運営するマーキュリー劇場の電話交換手の助手だった。
1938年、ベティ・コムデンやアドルフ・グリーンらとともに、「ザ・レヴュアーズ」というナイトクラブの出し物の一座を結成し、ニューヨークの各地のナイトクラブで活動した。作曲家レナード・バーンスタインが友人として、ときおりピアノの伴奏をつとめた。1940年には、レコード集も出している。ホリデイは、この時期をのちに不愉快なものとして思い出し、当初は下手な女優で、内気なあまり、公演の合間に吐いたほどだと語っている。一座は1944年の初めに解散した。1944年に映画に初めて出て、空軍兵の妻を演じた。1945年3月20日にブロードウェイの舞台に立ち、同年、有望な若手の女優に与えられる賞を受けた。
1946年、ブロードウェイで『ボーン・イエスタデイ』のビリー・ドーンを演じて、脚光を浴びた。作者ガーソン・ケインは、ジーン・アーサーのために書いたが、彼女がニューヨークを離れたので、約20歳年下のホリデイを選んだ。コロムビア映画が映画化権を買ったとき、社長ハリー・コーンは、無名の彼女を使おうとしなかった。そこでケインやキューカー、トレイシー、ヘプバーンらが、ホリデイを売り込むため、『アダム氏とマダム』(1949年)で重要な役を与えた。コーンは、スクリーンテストを経て、結局ホリデイを起用した。映画版では、『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンや、『イヴの総て』のベティ・デイヴィスらをおさえてアカデミー主演女優賞を受けた。1957年にはミュージカル『ベルズ・アー・リンギング』でトニー賞を受けて、1960年の映画版でも主役を演じた。1950年、赤狩りの文書に名が載り、1952年には上院の小委員会で証言に呼ばれたが、大きな打撃を受けずに切り抜けた。1948年に音楽家と結婚して一児をもうけ、1958年に離婚した。1965年、癌のため亡くなった。
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